針葉樹(シエラ中部では白皮松)の上限は、水辺に沿ってあるわけではない。ヒースの高さのあたりで水辺に近づいているが、アメリカカラマツのようにじめじめしたところが好きなわけではない。樹木限界地点で鳥の鳴き声が静けさを破ることはほとんどないが、松のかじられた赤い実から想像されるに、シマリスが住んでいて、そして雲行きが悪くなるとマーモットが水辺に降りて来る。ウィンディー湖に突き出す岬の上で、私たちはある夏、惨事の痕跡を見つけた。それは松の股に挟まった、成長しきっていない一組のヒツジの角。そこに角が引っかかってしまったのだろう。松の幹はしっかり角を抱え込み、頭蓋骨は風雨に晒された角さやから落ちてぼろぼろになっていた。苦悶が長く続かなかったことを、夜の狩人たちが近くにいて素早い終焉がもたされたことを、目にしたわたしたちは望んだけれど、確かなことはわからなかった。以来、ウィンディー湖の岬を好きになることはなかった。

 雪の中で育つ植物が花を咲かせるためにしていること、深い雪に埋もれた冬の日々、秘かに開花めざして準備していることが、同じ種の中で特に素晴らしいことをしているとはさして認められていないように思える。溶けた雪の塊が木々の枝下にまだ残っている頃、ヒースは湖の縁で咲き始める。種の中で一番ちいさい花(カルミア・グラウカ)が咲いているのを、それからちゃんとした実も、雪だまりから30センチほど離れたところで見たことがある。一週間の間なかなか出てこられなかったものだ。どうしてかヒースの心は、英語を話す人々の血に流れ込んできた。「ほらあれ、ヒースじゃないの?」人々は言う。あげくの果てに、声をひそめて感嘆しながら無頓着に摘んでいく。ヒースのそれぞれの品種の元は、氷河の縁からほぼ同時期に出現したと思われ、おのおのが共通の祖先を記憶しているのだろう。

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