ここの山では、小川が雪の万年牧草地から灌漑用水路としてふさわしい場所までたどりつく道筋がある。まず、氷河の切れ端が氷の水たまりの縁から削られて静かに滑り降りていき、険しい崩れた岩棚を砕け落ちて別の水たまりに向かい、そこで身を寄せ集め、波うつ岩の斜面をまっさかさま落ちていき、再び湖を見つけ、そこで力を溜め、それからまた深い窪みめがけてうなりながら落ちていき、泡だち鎮まり、どこか静かな草地の穏やかな場所に滑りこみ、丘に挟まれた険しい溝の中をころがり、茂みの下で固まり、それから開けた場所にたどり着いて、そこから安定した流れとなって進んでいく。草原(高地の小さな草地)は、樹木限界線の手前のところから始まる。ここでは一寸柳のカーペットの上を歩くことになる。柳は驚くほど小さなふわふわとした穂状の花をつけ、葉っぱも茎の成長も素晴らしい倹約ぶりだ。このようなやり方をよく知る高所の植物は他にはない。一寸柳のカーペットは地面を抱き、茎のジョイントから根を伸ばし(普通、根はそんなところから出ない)、細長い葉っぱを一、二枚と、その倍くらいのいっぱいに逆立つ尾状花序を育て、たとえ成熟期が短くとも、めったに実をつけそこなわない。クリークの入江で岸を降りていけば、運のいい人は、湿った芝土の上にミニチュアのマンザニータが、数は少なくとも文句なく充分なだけいつも、バラ色のりんごの実をつけているのを見つけるだろう。高地では謙虚であるに越したことはないが、びくびくする必要はない。わたしは数時間、死んでもおかしくないような草原の冷え冷えした草地の上を這い回ったことがあるが、さしたる被害は受けなかった。せいぜいオリバー・ツイストの不平(食事の量が少ない)程度のこと。このすぐあと、柳の低木地帯に来るが、多くのシエラの川では、柳のあるところにはきっとマスがいると期待されている。でもマスの分布の状況はいろいろ。最近では、釣り人たちの中に後の楽しみのために自然に手を入れる者もいるが、うなりを上げる茶色い水のところにマスがいるはずとやって来ても、魚がいないということもある。

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