その湖は山の目、翡翠の緑で、静かで、まばたきひとつしない、そして何か底知れぬものがある。切り立った崖の下ではどんなことも起こりそうに想う。ブラインドレイク(水の出入りのない池)のあれやこれが底なし沼だという話は、いつも地元の興味をそそる言い伝えとなる。しばしばブラインドレイクは、誰も近づけないような、行ったとして無傷では帰ってこられないような瓦礫に囲まれた深い谷底にあったりする。そのような湖が、キアサージトレイルが彎曲して危険なほど崖っぷちに迫っている、切り立った斜面のはるか下に身を沈めている。それは静かに、恐ろし気な緑色をして、とんがり帽子の中に身を横たえ、この地域のガイドたちが好んでする、荷物と荷ロバがそこに飲み込まれた、という格好の語りぐさとなっている。

 でもオッパパゴーの湖は多分、それほど深度はなく、緑というより灰色で、親しみがもてる。カワガラスがここをよく訪れるが、湖岸を鳥たちが飛びまわっているうちは、氷河から切りとられた薄い氷の塊が、高地からすっかりなくなってしまうことはない。青みを帯びた氷の洞穴を出たり入ったり、カワガラスは軽やかに飛びまわり、歌をうたう。上空から聞くその歌声は甘く、ニキシーの和音のように神秘的だ。このあたりの高く厳しい一帯でも蝶の姿は見られる。荒涼たる場所と言われるようなところだが、わたしのようにここを愛する者はそうは思わない。樹木限界線より上とはいえ、小さな多肉植物や山吹色の房状草類を楽しめないほど高くはない。花崗岩の山というのは簡単に砕けることはないが、ひとたび土に分解されると非常にいいことをする。ほどほどに水を含んだ一握りの砂利の土壌が、植物の根づきを助けるのだ。そしてこんな条件の悪い環境でも、場所選びの選択肢は残されている。山の草々にとって共産主義というのはありえない、相性こそ価値がある。

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