自家受精か風による受精かが特別優位に働くことはないが、どの植物にとっても虫の活動は必要とされ、その形跡も残っている。そして、種と虫があるところには、鳥や小動物が生活し、鳥や小動物のいるところには、それを餌食にする尖った歯のこそこそ歩きの一族が出現するということだ。荒野の深部へと足を踏み入れる場合も、生きものの生死のないところまでは行きつけない。まだら模様のトカゲが、岩の割れ目を出たり入ったり動きまわり、熱い白砂の上であえいでいる。鳥たちは(ハチドリだっている!)サボテンに巣をつくり、キツツキは悪霊にとり憑かれたような姿のユッカに寄ってきて巣穴を掘る。一本の木もないがらんとした荒野からモッキンバードの夜の調べが流れ出る。それが夏で、すっかり日が落ちた後なら、アナホリフクロウの鳴き声が聞こえるだろう。ふわふわ毛皮のちょこまかした何か小さな生きものが、砂地の上を素早く動きまわったり、クレオソートの茂みの監視塔からじっと辺りをうかがっている。ある詩人は「汝、撃ち落とすことなく、鳥の名がわかるか?」と書いたけれど、雨の降らないこの土地に住む、ふわふわ地面を走りまわる小さな民の名を一つ一つ言い当てることはできそうもない。その数はひじょうにたくさんで、ひじょうに敏捷だ。どれくらいたくさんかは、砂に残された足跡を見ないかぎり信じられないだろう。ほぼ夜を徹して働き通すのは、昼の白熱から逃れるため。沙漠の真っただ中、牛もいない、死肉喰いの鳥もいないはずの奥地を歩いていて、大きな黒い影の中に自分が立っていることに気づくことがある。人間ほど大きいものが見つからずにここを歩くことは難しく、死肉喰いたちは足を踏み入れた者を沙漠がどう扱うかよく心得ている。ここに住むための知恵は、沙漠が住む者に強いる適応の仕方から得られる。春の終りに日射が急激に増して、巣作りしている鳥たちを襲うと、ふ化に逆転現象が起こることがある。そうすると卵を温めるよりも、むしろ冷やさなければならなくなる。ある息のつまるように暑い春のこと、リトル・アンテロープで、マキバドリのつがいの巣の前をたびたび行き来する機会があった。巣はごく細い一本の草陰の、条件の悪い場所にあった。夜に入る頃まで、親鳥が巣で座っているところを見たことはなく、日中は半ば放心したように口を開けたまま、太陽と卵の間で立っているか、巣の上に覆いかぶさっていた。ときにつがいは二羽で羽を広げ、半ばそれを持ち上げて、常に巣の中に影ができるようにしていた。それを見ていたわたしは、キャンバス地の切れ端をおすそわけしないわけにいかなかった。この地方では牛を囲っておく柵があって、杭が二十数キロメートルにわたって続いている。一つの杭の影の中に、必ずといっていいほど一羽か二羽の鳥が暑さをしのいで佇んでいる。スズメとタカが羽を降ろし、くちばしを開いて、白い真昼の暑さの中で休戦中ということもある。