1. 雨の降らない土地

シエラの山並みからはるか東、パナミントとアマルゴサからずっと南、何マイルも何マイルも東へ南へと下っていった先に、「見捨てられた果ての国」はある。

 ユート、パイユート、モハベ、ショショーニの人々がその最果ての地に住みつき、人の行ける限界地点にまで足を踏み入れている。限界は法ではなく、土地が敷いたものだ。地図上には沙漠と記されている土地だが、インディアンの呼び名のほうがふさわしい。人間の生存を保証しない土地を示す言葉として、沙漠では甘すぎる。人間が住むためにこの土地を手なずけたり、痛めつけたりできるものなのか、誰にもわからない。空気は乾ききり土壌は粗悪、でも生命のない空虚な土地ではない。

 これがこの土地の本性。丸みを帯びて低く連なり、煮えたつ混沌から絞り出されクロムと朱色に染められた、雪の境界線を待ち望む山並みがある。山と山の間には、容赦ない照り返しに耐える高地の平原や、青い靄に沈む小さな谷間が横たわる。丘の表面は火山灰の吹きだまりと風化されていない黒い溶岩流の縞模様になっている。雨のあと、小さな谷合の窪地には水が溜まり湖となるが、間もなく蒸発し、カラカラに乾いた沙漠地帯そのものとなる。地元ではこのような窪地を乾湖と呼んでいる。山の傾斜がきつく、雨が相当量降った場所では、窪地の水が完全に引くことはないが、水は黒く苦みがあり、沼の縁にはアルカリ性沈殿物の白華がついている。白華の薄い皮は沼の縁をぐるりとめぐり、中には植物が生えているが、美しくもなく生気もない。吹きっさらしの開けた荒れ地では、背の低い灌木のまわりに砂の小山ができ、小山と小山のあいだの地面には塩の跡が散らばっている。丘の地形変化はここでは、水の力よりも風によっているが、ときとして一過性の大雨のせいで、一年では挽回しきれない大きな爪痕が残されることもある。西部の沙漠地帯の周縁部ではどこでも、あの著名にして恐るべきグランドキャニオン(長期滞在するものが一度は訪れる場所)で語られているもののひな形を見ることができる。

>>>
もくじ