丘陵地であることから、ここには湧き水があると思うかもしれないが、それに頼ることはできない。たとえ見つけても、塩気があったり飲み水には適さなかったり、水気の少ない土から絞り出される気の遠くなるような滴りであったりするからだ。ここにはデス・ヴァレーの灼熱の地底か、一年中空気が霜を帯びたような厳寒の高地しかない。傾いた頂上部をもつこのあたりのメサの上では、いつ果てるともしれない強靭な一吹きがあるかと思えば死んだような静寂が訪れ、がらんとした青白い空に向かって砂塵が巻き上がり、砂の悪魔が踊っている。ここでは大地が全身全霊で雨を請うても、一滴の恵みも得られないか、雲の破裂と呼ばれる荒々しい一瞬の豪雨、そのいずれかである。水の流れを持たない土地、愛すべきものが得られない土地。それなのになお、ひとたびここを訪れた者は、逃れようなくまた舞い戻ってきてしまう。そういう土地でなかったなら、今語られているようなことを耳にする機会もないだろう。

 ここは三つの季節からなる土地。六月から十一月にかけての季節は耐え難い暑さがじっと居座り、暴力的で手の下しようのない嵐の病魔に冒される。それから四月が来るまでは寒く、活動の停止した、わずかな雨とさらに少ない雪でしのぐ季節。四月から灼熱が戻って来るまでが、花々が咲き乱れ、光溢れる喜びに満ちた、人を惹きつけずにはおかない季節となる。これはおおよその区分だが、この季節と前後して雨を積んだ風が、カリフォルニア湾からコロラドの水門の方へと吹き寄せ、それによってこの地の季節は定められる。

 沙漠の植物は、厳しい気候条件の中で見せる楽天的とも言える適応力で、わたしたち人間を恥じ入らせる。成すべきことは花を咲かせて実を宿すことだが、めったにそれをすることはなく、雨が充分降ったときだけ熱帯性の繁茂を見せる。デス・ヴァレー探検隊の報告書には、雨の豊富だった年の後、コロラド沙漠で三メートルのアマランサスの植生が発見されたことが記録されている。その一年後、同じ場所に、同じものが干ばつの中、十センチの大きさで成長していた。こんな風に沙漠の植物が成し遂げていることを、人もやってみせることができたならと思わずにはいられない。沙漠のハーブ類は、その種の標準丈にまで成長を遂げることはめったにない。極度の乾燥と極度の標高、どちらも植物の背丈を縮める作用がある。平均的な気温であれば大きく成長するものが、シエラの高地とデス・ヴァレーでは小型化して現われるのだ。沙漠の植物が蒸発作用を防ぐ方法は多種多様で、太陽の方角に葉の面ではなく縁を向けたり、絹のような毛を生やしたり、ねばねばする樹液を出したりする。吹きつける風には悩まされもするが、助けられもする。風は砂丘を吹き上げ、ずんぐりした木の幹をすっぽり守るように砂で覆う。人の背丈の三倍くらいの、ちょうどメスキートの木と同じくらいの砂丘のてっぺんで、砂地から腕を突き出した枝が花をつけ、実を宿らせる。

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