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ガーナの作家ニイ・パークスのデビュー小説

著者:ニイ・アイクエイ・パークス
翻訳:だいこくかずえ
青 い 鳥 の 尻 尾

Tail of the Blue Bird

photo by Martin Figura

著者ニイ・パークス、インタビュー(2013年12月)

葉っぱの坑夫:あなたはこの小説を英語で書いています。書いているときに、読者として誰を想定していましたか? ガーナ国内と国外、どちらの読者を主に考えていたのでしょう。
(ガーナの人は普段英語の本を読むのでしょうか? 日本ではあまり読まれていません。また作家も英語で作品を書くことは稀です。)

ニイ:小説に使われている言語は、読者が誰であるかということとはあまり関係がありません。わたし自身が読者の一人であるという意味でも。言語の選択は、物語をつくるときの自分の言語能力によるものです。散文においては、今のところ、英語で書くのが一番いいですね。一番書慣れている言語だからです。とは言うものの、わたしの英語は、その使い方においてわたし独自のものであり、ガーナの文化によって形づくられたものです。だからガーナの読者は(ガーナでは中学、高校と英語で教育が行なわれているので、英語で本を読むことは普通です)、国外の人よりも、文のニュアンスをより仔細に受け取っていると思います。と同時に、国外の人でもシェークスピア愛好家の人は、この本の中のオフォス巡査部長とガルバ巡査の関係に、ドグベリーとヴァージェスの要素を見つけるでしょうし、ウンベルト・エーコのファンなら、彼の小説「薔薇の名前」と響きあうものを感じるかもしれません。このように本が様々な読まれ方をすることからも、わたしの読者が誰かということを、作品を書いているときに考えることは、あまり意味がないと思っています。少年だった頃の自分にお話をしているように書いている、とも言えます。知りたがり屋で、ちょっと変わった、マンゴーが大好きな男の子ですよ。


葉っぱの坑夫:この小説では、複数の言語が登場人物によって話されています。また章のタイトルも英語ではありません。でもあなたはそれをいちいち説明したり、翻訳したりしていません。それには何かわけがあるのですか?

ニイ:なぜ訳さないのかには、いくつかの理由があります。一つは、ガーナでは人々がどんな風に会話しているかを表すためです。わたしたちは、話しているとき、意識することなく言語をどんどん切り替えていきます(英語、トゥイ語、ガ語、ピジン英語というように)。次にわたしの成長過程で読んだ本の多くは、スペイン語やフランス語を訳すことなく載せていました。英語の場合も、Yew(イチイ)のような簡単な単語でも、文脈からしか読み取れないことはたくさんあって、そのわからなさが不思議さにつながるという、そういう経験をわたしの読者にもしてもらいたいな、と。三番目はいくつかの言葉、たとえば植物の名前などは、英語で何というかわからなかったからです。それに植物が地元原産のものであれば、国外のものと全く同じものかどうか疑わしいこともあります。だからそのまま現地の言葉で言うのがいいと思いました。


葉っぱの坑夫:日本人のアフリカのイメージは型通りのものが多いです。サファリの野生動物、マサイ族、アフリカの伝統音楽やダンスといったものです。あるいは内戦や貧困ですね。
アフリカの外の人に対して、自分の国やアフリカについて伝えたいことはありますか。

ニイ:この本は、ガーナ人のものの見方から書かれているという意味で、それを伝えていると思います。アフリカ全土のことは言えませんが、行ったことのある国(モザンビークやリビア、ウガンダ、コートジボワール、南アフリカ、エジプト、ケニア)についてはどこも、ヨーロッパと出会う前の時代から素晴らしい文化や習慣をもっていると言えます。わたしは食品技術者でもあるんですが、こんなことをよく話します。どんな文化で供される食品も、未開とか野蛮とか言うことはできない、とね。たとえばキャッサバ(芋類)は西アフリカの多くで食べられている食物ですが、きちんと処理をしないと危険な植物です。またマラリアによる症状、吐き気やヘビに噛まれるといったことへの対処も、何世紀にも渡って成されてきました。ですからわたしたちアフリカ人は、もちろん踊るし歌うし、アフリカには確かに野生動物がいます。それに干ばつや貧困もあります。しかしそういったものの基盤には、社会や文化、科学や豊かな歴史が脈打っているのです。


葉っぱの坑夫:あなたはガーナで育ったと聞いています。何歳のときイギリスから戻ったのですか? 戻ってから言葉の苦労はしましたか?

ニイ:イギリスで生まれ、四歳のときにガーナに行きました。両親がイギリスでの勉学を終え国に戻ったのですが、わたしは大学に行くようになるまでガーナで育ちました。イギリスから戻ったとき、言葉の問題はなかったです。それは両親がガ語と英語の両方でわたしを育てたからです。ガ語は主に首都のアクラで話されている言葉です。イギリスで生まれたとは言え、わたしの母語はガ語なんです。もちろん、ガーナに戻ってからは、いくつかの言葉をさらに覚えました。ガーナにはたくさんの言語があるのでね。

小さい頃の最初の言語(母語)はガ語ですが、英語も身近にありました。その後、ファンテ語とトゥイ語を、それからエウィ語、ハウサ語とダバニ語の片言も買物などのために学びました。またディジョンに1995〜96年に五ヶ月間住んだので、フランス語も覚えました。ドイツ語とタガログ語も学ぼうと思っています。わたしの母は、ガ、トゥイ、ファンテ、英語を話します。初歩のオランダ語もおそらく。


葉っぱの坑夫:あなたは詩人としてスタートして、小説を書きました。将来また、小説を書くことはありますか?

ニイ:いま、次の小説を書いているところです。詩や短編小説とともに、長編小説も今後書いていくつもりです。


葉っぱの坑夫:この小説が現代文学であると同時に、エンターテインメント小説の一面も持っていることに感銘を受けました。それはあなたの世代から来るものでしょうか。つまりエイモス・チュツオーラやチヌア・アチェベの孫の世代という意味です。

ニイ:わたしたちは本として読むものと同じくらい、見聞きしたお話に影響を受けています。だからわたしの書くものが、何を手本としているか、一つ二つをとって言うのは難しいです。とはいえ、アチェベや*コフィ・アウォーナー、ケン・サロ-ウィワ、ベッシー・ヘッド、チュツオーラ、マリアマ・バなどが成してきた出版活動によって、アフリカ人であるわたしたちに授けられたものは、わたしたちの世代はもっと気楽に書ける(あるいは書いた方がいい)ということです。一番いいと思う方法で自分たちのことを語ること。日々の暮らしから感じとるものを鋭敏に反映させ、人間性を追求しそれを表す、そういうことだと思います。


葉っぱの坑夫:この小説の語り手の一人、オパニン・ポクはヒョウも捕らえる有能な猟師です。しかし音楽が好きで、奥さんと仲が良く、英語を習っていたりと、違う側面ももっています。ある種の昔気質の人間だとは思いますが、もっと柔軟性があり、家父長的なところや封建的なところはないですね。誰かモデルになる人がいたのでしょうか。

ニイ:オパニン・ポクは、わたしが子ども時代に出会った、数知れない村の老人たちから抽出した人物像です。この人たちは、クワメ・ンクルマア(ガーナの初代大統領)の成人教育課程の恩恵を受けた世代で、地元の言葉で読み書きができました(英語も選択肢としてありましたが)。しかし同時に彼らは、自分たちの文化の中に腰を据え、土地としっかり結ばれていました。また遊び心があり言葉遊びのような冗談が大好きでした。都市部に住む同世代の人たちとは、大きな違いがあると感じています。その人たちはもっと硬直していて、(男性の場合)愛国者的で、生真面目で、(わたしから見ると)自分が誰なのかについて不安を持っているようでした。


葉っぱの坑夫:この質問は個人的な興味からなんですが、2014年にブラジルでサッカーのワールドカップがあります。ガーナも2010年大会につづいて出ていますね。2010年のガーナ代表はとても印象的なチームでした。選手たちのパワーやスピードもそうなんですが、チームとしてディシプリン(規律)があって一集団として効果的に戦っていました。ドログバのようなスター選手がいないのに、魅力的でした。このチーム、あるいは彼らのプレースタイルは、ガーナの国民性と何か関係があるのでしょうか。

ニイ:おそらく。ブラジル大会が終わったあとなら、もっとうまく説明できるんじゃないかな。大変なグループ(ドイツ、ポルトガル、米国)に入ってしまったけれどね。

葉っぱの坑夫:日本語の読者に何か伝えたいことはありますか。

ニイ:日本の人がこの小説を読んでくれたらとても嬉しいです。それから、出版前に、日本語訳を読んで感想を聞かせてくれたマリコ・イシカワとアドマ・マンフルにありがとうを。

ペーパーバック版(POD)
発売日:2014年1月
価格:1600円(本体価格)
Kindle版(amazon.co.jp)
発売日:2014年1月
価格:500円

あ お い  と り の  し っ ぽ

ぼくの名前はニイ・アイクエイ・パークス。ガーナ出身で、詩や小説、様々な記事や歌の詞を書いていて、ときどきあらゆる年齢層に向けてのラップもやります。名前のニイっていうのは、リーダー(先導者)という意味で、真ん中のアイクエイのクエイは二番目の息子であるということ。
ぼくの生まれたイギリスと子ども時代を過ごしたガーナとは、経度が同じなので、時差がまったくない。でもこの二つの国は、いろんな意味でとても違っています。たとえば、ガーナには季節が二つしかない。雨季と乾期。それからガーナには学校で習う英語に加えて、76もの言語があって、さらに耳の聞こえない人のための手話も2種類あります。ガーナの子どもたちは、少なくとも三つの言葉は話せるんですよ。
ぼくはKP Kajoの別名で書くこともあって、「パレード」という童話はクモのアナンセのお話、本になっています。(ニイのウェブサイトより)

日本語版:この本の紹介ページ

The Parade by KP Kajo

原典のイギリス版(英語):Tail of the Blue Bird

アメリカ版(英語):Tail of the Blue Bird

ドイツ語版:Die Spur des Bienenfressers

オランダ語版:De blauwe vogel

*コフィ・アウォーナー:植民地時代のアフリカを作品で表したガーナの詩人(1935年生まれ)。2013年9月、ナイロビ(ケニア)のウェストゲイト・ショッピングモールで起きた、武装集団による襲撃事件で死亡。ニイはこの本の冒頭に、以下の言葉を記している。
「この掃き溜めで、ぼくらはガレキの中から希望の印を見つけだす。」
コフィ・アウォーナー著 ‘This Earth, My Brother’ より