スーダンの三人の少年の回想記

著者:ベンソン・デン、アレフォンシオン・デン、ベンジャミン・アジャク
紹介と結び:ジュディ A・バーンスタイン
翻訳:だいこくかずえ
空 か ら 火 の 玉 が ・・・
<南スーダンのロストボーイズ 1987 - 2001>

They Poured FIre on Us From the Sky
著者インタビュー<1> ジュディ A・バーンスタイン

葉っぱの坑夫・だいこく:
2011年の初めごろ、新聞の記事でスーダンとロストボーイズのことを読みました。その当時、スーダン内戦の状況も、ロストボーイズのことも知りませんでした。記者が「What is the What」という小説の紹介をしていて、その本を探しにアマゾンに行きました。そしてたくさんのロストボーイズの本があることに驚きました。「What is the What」のレビュアーの一人が、「空から火の玉が・・・」の原著「They Poured Fire on Us From the Sky」を強く推薦していました。こちらは小説ではなく実話だ、と。それでアマゾンで本の中身を確認したところ、あなたの書いた「はじめに」の文章に出会い、いたく感動しました。小さな三人の男の子のイラストの表紙も素晴らしく、私はこの本に確かなクォリティを感じました。買って読んだところ、期待どおりの作品でした。勘が当たって本当によかったです。こうしてあなたにインタビューできるなんて、夢のようです。
まず初めにあなた自身のことをお聞きしたいと思います。どこで、どんな風に育ったのでしょうか? ジュディさんは先入観というか偏見のない方に見えます。本の「はじめに」を読んでそのように思いました。どのようにして今のあなたになったのか、何か特別な出来事とかあるんでしょうか。あるいはご両親はどんな方でしたか?
ジュディ:
それはいい質問ですね。ぴったりした答えになるかどうかはわかりませんが。わたしの両親はどちらも、1929年に起きた大恐慌の時のいわばアメリカ国内の「難民」でした。その体験が両親の生き方に反映されていた、と思いますね。人に食べものを乞うような経験をすれば、人は心を閉じて尊大に振る舞うことはできなくなります。
わたしはカリフォルニアのサンディエゴで育ちました。当時そこは軍事都市で、わたしが住んでいた地域や学校は、白人一色という場所でした。わたしの家族は数年おきにテキサスの叔父のところを訪問していました。母が言うには、テキサスはカリフォルニアとはとても違う、線路のこっち側には白人が住み、向こう側には黒人が住んでいる。でもそれは容認できないことだ、絶対に間違っている、とわたしに言っていました。うちの家族は遠くまで旅をすることはなかったけれど、テキサス滞在は、よその文化や人々に深い関心を向け、意味なく警戒心をもたないという意味で、充分な体験になりました。旅というのは、排他的になる気持ちを追い払ってくれます。
こうして今、わたしは違う文化をもつ人々に惹かれますし、彼らの文化や考えを理解しようとしています。ものごとを他の人の視点から見ることは、自分の文化や思想体系がどういうものかを、曇りのない目で見るための良い方法になると思います。

葉っぱの坑夫・だいこく:
この本を読んで印象的だったのは、全編を通じて、三人の少年が交互にそれぞれの声で、自分の物語を綴っていくところです。ベンソンは誠実で、アレフォには鋭い感覚がある、ベンジャミンは幼いけれど強さをもっている。翻訳をする際、私は三人それぞれ独自の声をはっきりと書き分け、日本語で生き生きとよみがえらせることに、一番心を砕きました。この方法は誰のアイディアだったのですか? どなたがこれで行こうと決定したのでしょう。
ジュディ:
まず彼らの物語を翻訳していただいたことを、あなたに感謝したいです。三人の声を書き分けることに重点を置いた、と聞いて、非常に嬉しいですね。わたしは日本語訳を読むことはできませんが、そのような心の傾け方をしたと聞いて、本当に幸せな気持ちです。もちろん彼らの話の内容は、非常に意味深いものですが、彼らが書いたものを受け取った最初の瞬間から、わたしを捉えたのはその声でした。アメリカ人の声となんと違っていることか。歌のようで、力強く、真っすぐで、詩的で、耳に新鮮な比喩表現、それでもなお一人一人の声はくっきりと違う。そのまたとない声を保つことは、一番に優先すべきことでした。ウィリアム・モリスの編集者クライブ・プリドルが、わたしの考えに同意してくれたときには、心が躍りました。
葉っぱの坑夫・だいこく:
ベンソンやアレフォ、ベンジャミンが新天地アメリカで、あなたに出会えたことは彼らにとって、とても重要だったと思います。あなたにとってはどうだったのでしょう。あなたの生き方に変化が出たり、ものの見方が変わったということはありますか?
ジュディ:
彼らと出会う十二年前に、自分自身の子どもを持ったことを別にすれば、ベンソン、アレフォ、ベンジャミンとの出会いは、わたしの人生に、いろいろな意味でこれ以上ない衝撃を与えました。これは「普通のこと」なんだ、と自分が受け入れた数知れない出来事がありました。信じられないような、まったく新しいものの見方でそれを受けとめ、「どうするのが一番の道か?」といつも問いつづけてきました。彼らの相談役として、またこの本の著者として、彼らと知り合ったことによって、わたしの人生の中に、大きな大きな人の輪が広がっていきました。このかけがえのないプロジェクトに加わる機会をもつことで、想像もできなかった道がわたしの前に開けました。彼らの体験を知り、彼らの目で世界を見ることで、危険もなく、快適で未来もある自分の人生を改めて認識し、感謝する気持ちをもちました。また他の人を想う気持ちが強くなりました。何にも増して大切なことです。


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そ ら か ら ひ の  た ま が

ジュディ A・バーンスタイン
photo by Judy A. Bernstein
お気に入りのシャツを着た19歳のときのアレフォ(アメリカに着いて間もなくの頃)
photo by Mark Frapwell
アレフォンシオン・デン
著者インタビュー<2> アレフォンシオン・デン

葉っぱの坑夫・だいこく:
この本を訳している間、日本の七歳前後の子どものことを(あるいは自分の息子がその年齢だったときのことを)ずっと考えていました。そんな小さな子たちが、あんな大変な状況を生き延びられるなんて、信じ難いことでした。どうしてあなたやベンソン、ベンジャミンのように、生き残れた子どもたちがいるのか、わかりませんでした。本の中に、あなたが毎朝川に行って、ひび割れた足を洗い、ツツガムシを自分で退治したところがありますけど、なんて賢い子だろうと感動しました。人間は、たとえ小さな子であっても、自分で自分を救うことができるんだ、と学びました。人間には良き力が備わっているんだ、って。
アレフォ:
たくさんの人から同じことを訊かれました。どうやって助かったのかと。生き延びられるかどうかは、外的な要因とはあまり関係がありません。むしろ自分の中で何を思い、言い聞かせるか、が関係してきます。自分の内なる声です。助かった子たちはみんな、他の者を助けようとした子たちです。パン一切れであれ何であれ、食べるものを見つけたときに人と分ける、そのせいでからだが弱り、お腹が満たされなくても。ボクが助かったのは、良い人々がいてボクに手を差し伸べてくれたから。次第にボクもそのことを学び、人に手を貸すことを覚えました。今もそのことを学んでいます。その反対のことをボクは見てきました。欲張りや脅し、差別、部族主義、原理主義、そういったものがいかに人と人を引き裂くかを見てきました。そういうものは、人をモノにしてしまいます。ぼくの経験では恐ろしいことはいつも、目の前にいる人を兄弟姉妹と見なさなくなってしまうことから始まります。「他人」として見るようになるのです。いるのは自分たちだけ、他に人はいない。互いに助け合うことは、唯一の生き残る道でした。一人では生き残れない。ボクの未来は他の人とつながっています。他の人もそうだといいんですけど。
葉っぱの坑夫・だいこく:
日本では、賢い子を見ると、親の顔が見てみたいものだ、と言います。お父さんのこと、お母さんのことを聞かせてもらえますか。
アレフォ:
ボクの父さんは戦士のようにがっしりとして強い人です。燃える目を持ち、でも愛に満ちた人です。ボクにとってシナモンみたいな匂いのする人です。優しい顔をしていて、そばにいるとボクは平和で幸せな気持ちになります。何でもできる人です。老いた牛の皮やサイザルという草から、きれいな縄をつくる方法も知ってます。父さんは働き者です。あらゆることを知っています。人の話をよく聞きます。情け深く、親切心に溢れています。夜、夕飯のあとに、火のまわりでお話をしてくれます。ライオンを殺した話、よその人に親切なことをしたり、戦士だった昔々の曾祖父たちの話。父さんは他の人々を助けるよう、よく話していました。ボクのところは大家族だったから、分け合うことは大事なんです。
母さんは不屈の人、働き者で面倒見がよかったです。一日中働いていたものです。水汲みや薪集めに行っていました。ボクら子どもに昼ごはん、夕ごはんの用意をします。穀類を挽きます。すり鉢とすりこぎで、長いこと挽かねばなりません。そうじゃないと美味しくならないのです。まず挽いて挽いて粉にし、ふるいで漉して漉して。それから煮ます。ときに肉を食べることもあります。ヤギ、ガゼル、ゾウの肉は、ボクは苦手です。ボクの好きな肉は、、、キリンです。雨季になって、穴に水がたっぷり溜まると、たくさんの動物が村にやって来ます。レイヨウとか、ガゼルとか、ヌーとかが来ます。
葉っぱの坑夫・だいこく:
この本の第一部には、あなたの家族がどんな場所に住んでいたか、どんな風に暮らしていたかが書かれています。アフリカの人の日常生活がわかって、興味深かったです。平和だった村の暮らしの描写は、本全体の中で、とても効果的ですね。あなたの村では五歳くらいの小さな子でも、ヤギの世話をするなど、家の仕事をしています。日本では、親は子どもが勉強することをまず望みます。学校以外にも塾や稽古ごとなどで子どもは忙しい。日本の子どもとあなたの子ども時代とでは、ずいぶん違うと思うのですが、それについてどう思いますか? もし子どもをもったら、どんな風に育てたいですか?
アレフォ:
子どもを育てる唯一正解の方法、っていうのはないと思います。こんなことわざがあります。「子どもの行く道に合うように育てなさい。大きくなったとき、それを手放すことはない」 良い人間をつくることはできないけれど、子どもたちに良き生き方を示すことはできます。子どもを正しい道に導くのは、愛です。たとえばボクの母は小さいときに、ボクに愛のムチを与えました。ボクのことを無鉄砲な子だと思っていて、ちゃんとさせる必要がある、そうしないと生きていけないと思っていました。子どもはそれぞれ違うので、どんな風に育てるかは、親次第ですね。問題は、この世界で、どんな子どもが望まれるか、ということ。残忍な子、ウソばかりつく子、人を悪く言う子、人を憎む子、自分勝手、差別主義者、偏見の持ち主、、、それとも愛に溢れた、優しい、思いやりがあって、寛大で、思慮深く、よく働く子。親として心に描く素晴らしいことを、子どもの中に注ぐのです。愛によって育まれる良きことを、子どもに植えつけることで、自分自身やこの世界を救うことができます。ボクは自分の子どもたちに、他者を愛することを教えたいです。人生は愛によって導かれることを教えます。ボクは愛の力を知る生き証人です。悪い行為をボクは憎みます。でもその人自身を憎むわけではありません。それは人は変わることができるから。変わる猶予が与えられて、愛の力を知ることができれば、その人は変われます。今の世界の問題点は、思いやりや愛の欠如、無関心さに根ざしたものです。子どもたちは自分の仲間を愛するように教わります。よその人ではなく。だから育っていく間に、子ども同士で分裂が起きるのです。すべての人が愛をよく知れば、誰かを憎むことはできなくなります。いつも人に愛を注ぐようになります。誰かが自分をのけものにしようとしても、憎もうとしても、非難したり、苦しめようとしても、いつも愛でそれを返すようになります。それは愛こそが、憎しみを向けてくる者からの防御になるからです。他の人間に向ける不親切さのことを、敵対心と呼ぶのです。
葉っぱの坑夫・だいこく:
最近テレビで、南スーダンのサッカー代表チームのドキュメンタリーを見ました。セルビア人の監督がやって来て、チームづくりに苦労し、最後には解雇されるというものでした。現在も南スーダンが、深刻な状況に置かれているのは知っていますが、サッカーチームを国がもつことは、いいことに見えました。自分の国に対して、人が愛国心のようなものをもつことが、いいことなのか悪いのかわかりませんが、ただそれは、ときに戦争を引き起こすこともありますね。それについて何か思うことはありますか?
アレフォ:
あらゆる人が誰かを手本としています。それはわたしたちの習慣であり文化です。わたしたちの生き方なんです。わたしたちは人生において、よりよい人や良い考えをもつ人の真似をします。ボクについては、自分はここに所属していると考えるような人間ではありません。どこかに所属していたかもしれないけれど、心の内では、ボクは人間のいる場所、人間の品位や高潔さを保つという大義を守る場所、どこであれそのような場所に所属すると感じてきました。今の世界はたくさんのいいことを、よくないことに置き違えてしまっています。それはボクらが恐怖や強欲にあやつられているから。つまりボクらの存在の中に、エントロピーが溜まっていて、注意していないと、互いを破壊しあってしまうということです。
葉っぱの坑夫・だいこく:
本の中で、あなたはジュディにアフリカでお話を書いていたと言っていましたね。どんなお話だったんですか?
アレフォ:
多くは難民キャンプで見たことについてです。自分たちの国の軍隊に村を壊され、国から追い出されたわけですが、ボクら自身互いに反目しあってもいました。意味ないことがときに起こります。だからボクはよその国で、どんな扱いを受けたかを書こうとしていました。主に人間のふるまいについての観察です。この本の中にもそのことを書いています。
葉っぱの坑夫:
アフリカには豊かな口承文化がありますね。ディンカの話で何か覚えているものはありますか? もし自分の子どもをもったら、それを話してやりたいと思いますか?
アレフォ:
はい、いくつかは覚えている話があります。子どもに話すと思います。ここから先は挑戦ですね。ボクの未来の妻がスーダン人(ディンカ族)なのかアメリカ人なのか、日本人あるいは中国人なのか、インド人、それとも中東や南米の人なのか、わかりませんけど。それによってものごとは変わるものです。でもお話というのは変わりません。子どもたちには、ボクがどこからやって来たのか、どんな風に暮らしていたのか、話したいですね。
葉っぱの坑夫・だいこく:
日本語と英語はとても違う言葉です。翻訳してるときに、よく戸惑います。たとえば日本語では、物の数を気にしません、単数とか複数とか。「牛がいる」と言うとき、それは a cowでもcowsでもなく、単にcowなのです。there is cow. 数なしでわたしたちは何の不満もないんです。ディンカではどうですか?
アレフォ:
ディンカには複数形がありますよ。たとえば a cowはwengで、cowsはqokです。
葉っぱの坑夫・だいこく:
この本の中で、厳しい旅の途上であなたが出会ったたくさんの人々についての記述を読んで、とても心動かされました。あなたはとても正直に公平に描写している、と感じました。それが味方であれ敵であれ、SPLAであれ北部の政府であれ、良い先生悪い先生、だれであれ。だから戦争のリアリティ、この世界のリアリティを充分に感じることができました。でもあなたの味方の良くない面を書くことは、ときに難しくはなかったですか? それが本当のことであったとしても。
アレフォ:
人はだれに対してであれ、悪者扱いはしたくない、でもそれがどういうことだったか、真実を言う必要があります。真実を言うことは、自分が何をしているかの気づきにつながります。もしある人が悪いことをして、ボクが間違ったことを言ったら、無関心さによってボクはそのことに加担したことになります。毒蛇のような邪悪なことに手を貸さないことは、人として倫理的な義務です。悪いことをしたのがボクの兄さんであっても、邪悪なことを追いやるでしょうね。同様に、自分の子どもが悪いことをしたら、ボクはそれを改めさせます。そのことを話すことでも、子どもを正します。何がいいことか知っていて、それをしないのは罪です。
葉っぱの坑夫・だいこく:
最後の質問になりますが、本の中に出てくるペイソンさん、あなたがアメリカに来て最初に出会ったアメリカ人(アレフォが空港で会い、手渡された電話番号を書いたメモをなくてしまった人)には、その後会えたのでしょうか?
アレフォ:
はい、ペイソンの居所はわかりました。ペイソンとは今では友だちです。ときどき会って話をする仲ですよ。


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