スーダンの三人の少年の回想記

著者:ベンソン・デン、アレフォンシオン・デン、ベンジャミン・アジャク
紹介と結び:ジュディ A・バーンスタイン
翻訳:だいこくかずえ
空 か ら 火 の 玉 が ・・・
<南スーダンのロストボーイズ 1987 - 2001>

They Poured FIre on Us From the Sky
「はじめに ー ロストボーイズとの出会い」(ジュディ A・バーンスタイン)より
 この本の三人の著者をわたしに紹介してくれたのは、国際救済委員会サンディエゴ支局のケースワーカー、ジョセフ・ジョクでした。スーダンのロストボーイズのメンター(よき相談役)になってみたくはないか、と訊かれたのです。二万人にも及ぶ、多くがまだ五、六歳という男の子たちが、アフリカ最大の広さの国を横断し、1600キロの道のりを歩いて逃げた、と読んだことがありました。わたしは興味をそそられました。
 「ぜひ会ってみたいわ」とジョセフに言いました。ジョセフ自身、スーダンからの難民でした。「だけど、正直に言うと、相談役になれるかどうかはわからない」
 自分が「相談役になる」ということに恐れをなしているとは、認めたくありませんでした。それは重い意味をもち、たくさんの助けを必要としている三人の男の子に対しての誓約のように思えました。
 「サンディエゴ周辺を二、三、案内してくれればいいんですよ」とジョセフが説明しました。「ほら、動物園とかシーワールドとか。あの子たちは、ここの文化を知る必要があるんでね」
 街を案内するくらいなら、それほどおおごとではなさそうだと思いました。それでもまだ、自分が何に関わろうとしているのか、不安がありました。彼らはもう男の子ではなく、十九歳から上の若い男性で、親なしで難民キャンプで育った人たちでした。わたしは、ウィリアム・ゴールディングの「蠅の王」の情景を思い浮かべていました。
 そんなに緊張しないで、と自分に言い聞かせました。街を二、三日案内してまわるだけのことで、養子にするわけじゃない。三人の若者にアメリカのことを紹介するのは、楽しいことだろう、と。彼らは自動車も水道もなく、生き延びるための食料もない場所から、高速道路や触れることなく水が出る蛇口や、ありあまるほどの、そのせいで重大な健康障害を引き起こすほどの食料がある土地へとやって来たのです。この三人の若者は、映画「ミラクル・ワールド ブッシュマン」の南アフリカに現れたコカコーラみたいに、空から落ちてきてまったく見知らぬ世界と出会ったのです。
 というわけで、十二歳の息子クリフと一緒に出かけていき、少し緊張して、国際救済委員会事務所の長椅子で、スーダンからやって来た三人のロストボーイズを待っていました。
 「英語は話せるの?」 クリフが訊きます。
 「ええ、話せるわよ」と答えたけれど、部屋を見まわして自信がなくなりました。八つくらいデスクがまわりにあって、難民の人たち(ほとんどが家族づれ)が椅子のところに群れ固まり、聞いたことのない言葉を話していました。目に鮮やかな光景でした。一揃いの肌の色が並ぶパレットに、見慣れぬ服と言葉が散らばる未来都市エプコット。クリフは黙って大きく目を見開いていました。人々の光景は、クリフが普段慣れ親しんできたものとは別もの、ほとんどの人の肌が白く、ときにスペイン語はあっても、それが唯一の外国語という世界でしたから。
 二、三分してジョセフが三人のロストボーイズと現れます。自分が何を予想していたのかわかりませんが、想像していたのと違っていました。三人は背が高く(180cmくらい)、私立校の生徒みたいな服装に髪を短く刈り上げ、美しい、信じがたいほど黒く滑らかな肌をしていました。クリフとわたしは三人の前に立ちました。わたしは鮮やかな蛍光イエローのシャツを着た一人に、手を差し出し、クリフと自分の自己紹介をしました。若者はわたしとクリフの手を握り、ベンソンです、と言いました。ベンソンの隣りにいた、ベンソンとそっくりの(おそらく兄弟でしょう)若者が、手を差し出しました。アレフォンソと言ったように聞こえましたが、確かではなく、その名前はアフリカからやって来た人のもののようではありませんでした。ベンソンもそうですが。もう一人のロストボーイは、他の二人より二、三センチ背が高く、同じように握手をしました。リノという彼の名前は、はっきり聞き取れました。
 予定していた通りわたしたちは車に向かい、何か食べにいくことにしました。わたしはジョセフに、みんなの名前をもう一度言ってもらうようそっと頼みました。ベンソンによく似た若者は弟で、名前はアレフォンシオン、アレフォと呼べばいいと言われました。
 「シートベルトをしてね」 わたしのエクスプローラーの後部座席に三人が乗り込むと、そう言いました。車を出そうとすると、カチャカチャと音が聞こえたので、後ろを見ました。「手を貸しましょうか?」
 ベンソンがベルトを持ち上げました。「とめてもらえますか?」
 クリフが後ろの座席にいって、みんなのシートベルトをとめました。ここの決まりごとに慣れてもらおうと、もしシートベルトをしていないと、警官が車を止めて違反切符を出す、というシートベルトの法律を告げました。言っているとき、自分がアメリカをどこかの警察国家のように話している気がしてきて、だんだん声が小さくなりました。戦争地域で十五年も暮らしてきた若者から見て、くだらないことを言ってるように聞こえたかもしれません。
 サンディエゴの東に向かって走っているとき、庭に雑草が芽を出したように窪みがあちこちに現れ、道がでこぼこしてきました。何年もこのあたりには来ることがなかったので、シアーズや車のディーラーなどの大きな店が消えて、小さな店が見知らぬ言葉の看板(いくつかは手描きの)を掲げているのに、このとき初めて気づきました。
 アレフォが突然訊きました。「ペイソンを知ってる?」
 「ここに住んでいるの?」
 「はい、ココすんでます」とアレフォ。
 「いえ、残念だけど、知らないわ」 わたしはペイソンというのは、ここに先に着いたロストボーイズの誰かだと思いました。
 「ペイソンとはどういう知り合いなの?」とわたし。
 「友だちです」
 「どこで会ったの?」
 「飛行場で会いました。ボクに電話番号をくれたんです。電話してホシイテ。それを書いた紙がないんです。ペイソンを知らないんですか?」
 アレフォは少し慌てた風で、きっとこの街の大きさを測りかねているのでしょう。「いいえ、知らないわ、ごめんなさい。紙をもう一度探してみたら」
 最初に行ったのはファーストフードのレストランでした。「チキン」以外、彼らのわかるメニューがなかったので、わたしたちはチキンストリップを頼みました。みんなは空のカップを受け取り、クリフが待ち望んでいたときがやってきました。ソーダマシンの使い方を三人に教えるのです。クリフがやってみせている間、彼らはクリフの上から覗き込み、レバーとボタンの扱いの一つ一つに注目していました。クリフが脇にどくと、三人の見習い生が先を争ってもみあいました。アレフォが一番を手にして、氷がドッと出てきたときに飛び上がりましたが、すべてをプロ並みにうまく終えました。
 キャップとストローをつけると三人は、わたしとジョセフのいるテーブルに戻ってきました。クリフはソーダマシンのレッスンがうまくいって、嬉しそうでした。
 アレフォは自分のチキンのボックスに没頭して、バーベキューソースにチキンを浸けるほんの一瞬以外、休まず食べることに挑戦していました。次の一口は、ランチドレッシングに浸けられました。このようなソースは、トウモロコシ粉と水で十年過ごしてきた口には、食べたことのない風変わりな味覚の冒険に違いない、と思いました。異国の香りにたじろぐことなく、アレフォは果敢に甘酢ソースにも挑戦していました。
 わたしはサラダに手をつけることなく、テーブルの向こうの若者たちに、目を奪われていました。この若者たちはアメリカに来てまだ三日で、60ミニッツ(CBSの番組)で「石器時代」と表現されている場所からやって来たのに、非の打ちどころのないマナーです。食べものを礼儀正しく手にし、一口ごとにナプキンで口をぬぐう所作は、フィニッシング・スクール(社交界に出るための作法や教養を学ぶ学校)の卒業生のようでした。(後略) | 戻る |



第一部 ジュオル村
「なまったカミソリ」(ベンソン)より
 村を出たあの日から、家族や村の人々のこと、懐かしいディンカランドのことを考えなかった日は一日たりともありません。僕は男五人、女三人の子どもがいる大家族の五番目の子どもとして生まれました。両親はスーダン南部のバハル・アル・ガザールで牧畜と自作農をやっていました。今僕らは自分たちをディンカと呼んでいるけれど、長老たちによれば、そんな名前はイギリス人がやって来るまでなかったといいます。一人の探検家が僕らの土地にやって来て、モニジェン(ディンカの別名)の若者が狩りをしているのに出会い、声をかけました。「君たちは誰なのかな?」とその人は見知らぬ言葉で訊ねました。
 「ディン・カク」と、首長の名前で自分たちを名乗るという、この土地の習慣に従って若者たちは答えました。
 その探検家は「ディンカ」と書きつけ、それが僕らの名になりました。
 破壊と荒廃におそわれる前は、ディンカの人々は牛を財産として飼い、それを自慢にしていました。金持ちと言われるには、百五十頭以上の牛をもっている必要がありました。僕の父さんは金持ちではなかったので、九十頭でした。でもそれで充分幸せだったし、誇りにもしていました。
 僕の母さんは額に、勇敢さの印である放射状に広がる五本の線を刻みつけていました。この印をもつ女性は、男たちと一緒に戦いに参加することができました。父さんより背が高く、五人いる妻の三番目で、最も尊敬されていました。母さんはディンカの女性がやっているように、自分より古参の妻に働かされることはなかったけれど、家族のためになんでもやっていました。独立心の強い人で、自分より若い奥さんの味方になって、父さんと争ったこともあったくらいです。
 僕らは茅を葺いた泥の小屋に住んでいて、寒いときは中で薪を燃やしました。たいがいの時は、母さんと子どもたちで寝起きしていました。父さんは難しい問題を決める集会の重要な一員だったから、家を離れていることが多かったのです。戻ってきたときは、僕らの家か他の奥さんのどれかの家で寝ていました。今でもジサイチョウのあげる声やハタオリドリが歌う声、イバラの茂みに巣をつくる音が耳に響きます。僕はよくアカシアの木の下に立って、キリンが黒い舌を葉っぱに巻きつけるのを見ていました。キリンは僕の方をちらりと見てから無視しました。こんな小さな子に、危険はないと見たのです。夜になって、ハイエナが声をあげライオンと戦っていると、僕らは目を覚ましました。僕は母さんにしがみつきました。
 家族の誰もが、毎日やるべき家の仕事をもっていました。女の子たちは穀物を挽く仕事があり、水汲みや薪集め以外、家を離れることはありません。僕ら男の子は女の子と違って家にいることはなく、外に出て務めを果たしていました。二人の兄さんは草原に出て、牛に草を食べさせたり水場に連れていっていました。僕はヤギやヒツジ、子牛に草をやりに行きました。リスやウサギ、マングースなどの小さな動物を狩りすることもありました。みんなで巣穴に煙を焚いて、犬が獲物を追いかけました。仕事を終えると、友だちと遊びます。グループになって家から家をまわり、サトウモロコシの茎を噛みました。収穫期が終わると畑の上にすわり、足で土を掘って、ピーナッツ探しのケトケトで遊びました。僕の好きな遊びです。ピーナッツを牛に見立てて、一番たくさん集めた者がその日の長になります。僕にとってゲームに勝つことは重要だったけど、その頃はちょっとしたことで、いともたやすくすねていました。ゲームに負けたり、ご飯の準備が遅れていたりするだけで、部屋の隅でふくれっ面をして、空っぽの鉢みたいに黙りこんでいました。
 母さんは家のことを何でもやりましたが、中でも料理が上手でした。ワインからポリッジ(おかゆ)まで、他の奥さんたちの称賛を浴びていました。大晦日に変わったワインをつくることでも、母さんは知られていました。新年の朝、木切れを二本打ち合わせて、こう声をかけるのです。「みんな、ワインを飲みにいらっしゃい」 お酒を飲まない人も、この麹抜きの粟のワインは飲むことができました。ジュースと同じように爽やかで、酔っ払うことがないのです。小さな子たちも、このワインを飲んでいました。たくさんの人がやってきて、早々に飲み干してしまい、母さんはとても満足していました。
 母さんは粘土できれいな鍋をつくったり、僕の背より大きな穀物貯蔵用のカゴを編み、それを父さんが売りにいっていました。父さんは街で、カゴを食べ物や服を買うためのお金に換えました。僕は小さかったから、裸でいるのは平気でした。でも、四歳になるころには、他の子どもたちがきれいな服を着ているのを見て、うらやましく思いました。父さんが他の子たちに服を持ち帰り、僕の分はなかったとき、父さんと口をききませんでした。「おまえくらいの年のときは、まだ裸でいいんだよ」と父さん。でも僕にはよくありません。僕も服が欲しかった。きれいな服を着た子たちは、裸ん坊の僕を横目で見ていました。
-----------------------------------
 ディンカの暮らしは季節で変化しました。秋に収穫があり、夏の終わりか春の途中に種を植えました。雨がいっぱい降ると小川に水が満ち、村の若者たちが牛に草を食べさせようと牧草地にやってきました。そこは草がいっぱい生えた草原地帯で、周りの村々の人みんなが牛を連れてきました。太陽がまた顔を出すと(家々の台所から立ちのぼる煙と、羽をつけたシロアリの大群を除いて)、空はきれいに晴れ上がります。アフリカハゲコウ、ツバメ、つやつやしたムクドリ、ハシビロコウ、シラサギが牛のあとに続き、シロアリの大群を捕獲しようと飛びまわります。怠け者の鳥は、ヘグリグやアカシアの木のてっぺんにとまって見ていて、ジサイチョウはよたよたと草原を声をあげながら歩いていきます。
 春の植え付けが始まると、僕は苗床のそばにすわって、芽が出てきたばかりのサトウモロコシやトウモロコシを見張ります。やってくる鳥を泥団子を投げて追い払い、日が高くなるまでそれをやります。そうすると母さんに、父さんを昼ごはんに呼びに行かされます。隣りの家に、火をもらいに行くように言われることもあります。ひょうたんのかけらに乗せた燃えさしや、乾いた牛の糞を持って帰ります。午後にはヤギの小屋をきれいに掃除し、囲いの中にまた入れます。たくさん働くけれど、夜になればゆっくりくつろぎ、長老たちのディンカの昔話を聞き、僕らが生まれる前はどんな暮らしだったか教わります。家のまわりは草地に囲まれていたから、みんなで火のそばに固まっていました。暗闇からサソリやヘビが出てきてもわかるようにしていたのです。先祖のことやディンカの人々のこと、どのように暮らすべきかなど、たくさんのことを学んだのが、こうして家族と過ごした夜でした。
 夜になると、人の背より高い塚からでかいシロアリが出てきました。母さんはそれをつかまえるため、塚の正面に大きなカボチャくらいの穴を掘り、藁の束を燃やして穴の前で待ちます。シロアリはびっくりしたカミアリみたいに、明かりにおびき寄せられてドッと出てきます。母さんは帚で穴の中にシロアリを追いやって、焼き焦がします。三十分もしないうちに、大きなカゴにたっぷり三つ分のシロアリが獲れます。でも素早く、充分注意してやらないと、まわりでカエルやヘビが分け前をいただこうと狙っています。乾燥させるのに二、三日かかり、頭がとれます。風で殻を吹きとばすと、シロアリのからだが油で金色に光りました。僕は揚げたのが一番好きだったけれど、ゆでるとこってりと美味しい、少し色のついた生クリームのようになりました。(後略) | 戻る |



「ディンカランド」(アレフォ)より
 ボクは足が速い。それはボクの天分。なにか悪いことをしたとき、ボクは走る。悪いことが降りかかってきたときも、ボクは走る。あの夜、あたりが混乱におちいったとき、母さんから言われていたように、ボクは走った。
 まだボクが小さくて村にいた頃、喧嘩をしたり、みんなが嫌がるようなバカげたことをよくしていた。誰かがうちにやって来ると、ボクはこう言う。「ボクのうちの何が欲しいの? ヤギでも盗みにきたの?」 みんながものを食べているとき、手に砂を握り、「アチョー」とくしゃみのふりをして、砂をごはんの上にばらまいた。そしてこう言う。「食べるのやめたの? どうして?」
 母さんはボクにがっかりしていた。
 兄さんのベンソンは、父さんも母さんもボクと同じで、上から三番目の子ども、ボクより二歳年上だった。いつも静かで、いい子だった。バカげたことなどしない。ボクがベンソンをつねって逃げても、肩をすくめて気にすることもない。
 ベンソンは文句を言うことがなかった。母さんがみんなにご飯を配るとき、ボクはこう言う。「ベンソンはもう食べたよ」 ベンソンは黙っているけど、母さんはまだ食べていないことを知っているから、ミルクとかスープを渡す。一度姉さんが、ベンソンにごはんを配るとき、スープを渡すのを忘れた。ベンソンはスープなしで穀類を食べたくなかったけど、「スープはどこ?」と言わずに、いつまでも黙って食べずにすわっていた。ボクが言った。「口がきけないの? ボクならぜったい言うよ」 自分のスープを飲んだあとに、文句を言うことすらボクはした。「ボクのスープは? ボクの分がない」 ミルクを飲み終えてから、母さんに文句を言うこともあった。「ボクのミルクは? 姉さんがボクの分をとった」 姉さんが「ミルクあげたでしょう」と言う。「ううん、くれなかった」 そう言って、みんな勘違いしていると言い張った。
 ベンソンは家にいるのが好きで、母さんの手伝いをしたり、姉さんの家に行ったりしていた。ボクは働きたくなんかなかった。料理の仕方はわからないし、「あんたのつくってくれたものは美味しい」と言って、人に料理させることを知っていた。母さんはボクは怠け者だと言った。ちょっと何かしただけで、文句を垂れていた。「ああ、もう疲れたよ。食べものがほしい、ミルクが飲みたい、水が欲しい」 文句ばかり言っていた。母さんはいつもこんな風に訊いてきた。「わたしがいなかったら、誰に文句を言うの?」 ボクは答える。「そうだな、空気にむかって文句を言うよ」
 ボクの兄さんにあたる、父さんの第一妻の二番目の息子イエルは、ずっと年上で、怠け者ではない。イエルはワウにある大学に行っていた。そこはボクらの村ジュオルから歩いて五日はかかる。イエルは弁護士になりたかったけれど、資格を取れなかった。それは争乱が起きて、政府が賢い学生たちを皆殺しにしようとしたので、逃げなければならなかったから。イエルは自由の戦士に参加した。ボクはイエルが兵士の服を着てた姿以外、ほとんど覚えていない。
 もう一人の(母さんも父さんも同じ)兄さん、アロクはうちの三番目の息子。病気だったので、父さんが看病をしていた。病気がアロクにとりついて、突然兄さんは地面に倒れて吐き、声をあげ、よだれを流した。でも病気が治ると、アロクは誰よりも足が速く、ウサギやリス、子どものディクディクだって捕まえられそうだった。
 ベンソンとボクの母さんは、第三妻だった。何人かいる奥さんたちはそれぞれ別に、畑を挟んで家を建てていた。ボクの父さん、デンは働き者だった。畑を何ヘクタールも耕し、果物や野菜、穀物を育て、兄さんたちと牛の世話もしていた。父さんの財産はディンカ式に、牛の数で計られた。百頭近く牛を飼っていたから、父さんはかなりの金持ちだった。父さんが重要人物で、しょっちゅう旅に出なきゃならなくても、ボクの家族は仲が良かった。
 ボクらのディンカランドは、木々に囲まれた広大な草原地帯だ。どの村も深い森に隠れるようにあるから、牛がモウと鳴いたり小さな道を見つけないかぎり、人が住んでいるように見えない。長老たちの時代よりもっと前から、ナイル川の水が引いて、泥地が乾いてひびが入る季節になると、北からムラヒリーンが足の速いアラブ馬に乗ってやって来て、牛を盗んでいった。空に砂ぼこりが舞い上ると、村の若者たちは槍を手に、牛を守りに出ていった。でもムラヒリーンの馬はとても足が速くて、あっという間にあたりを取り囲み、牛を連れて二、三分のうちに砂ぼこりを上げて逃げていく。小さかった頃は、ムラヒリーンのことをあまり心配していなかった。それは連れていくのは牛だけで、女の人や女の子、小さな男の子ではなかったから。それに若い男たちが、槍を手に村を守ることができていたから。
-----------------------------------
 朝はいつも一番に起きた。母さんが塞いである入口のドアを開けてくれた。ボクが中にいると、すごくうるさいからだ。毎日朝早く、ダチョウの大群が、木に巻きついてきれいな花を咲かせる草を食べにやって来る。ダチョウはこの葉っぱが好きで、昼近くまでそこにいた。ボクは外でダチョウを見ているのが好きだった。
 メスのダチョウは賢かった。卵を産むと砂でおおって隠し、それからその上にまた卵を産み、またその上にと積んでいく。一番上の卵を一つを見つけたら、その下にはもっとたくさんあるということ。ボクはすわってダチョウが卵を産むのを待つ。そして石で追いたてる。だけど気をつけないといけない。ヒナといっしょの母鳥はとても危険だ。羽を広げてボクを追ってくる。
 卵を一つしとめると、それはすごく重くて、やっとのことで家に持ち帰る。母さんがそれを料理してくれる。卵はとても美味しく、子ども全員にいきわたる。
 雨期になって、水たまりができると、いろんな動物がボクらの村にやって来る。レイヨウ、キリン、ガゼル、ディクディク。狩りは大きな楽しみ。槍を手にした若い男たちがそろって、リカオン(アフリカ猟犬)を連れて狩りに出ていく。ボクはついていきたくてたまらない。でも男たちは家に帰れと言ってボクを追い払う。一時間も歩いたら、ボクが疲れて泣き出し、家に帰りたいと言い出すことを知っているのだ。充分な量の獲物が手に入ったときは、それを持ち帰り、みんなで分けて食べる。そうじゃないときは、こう言う。「今日はついてなかった」 でも小さなディクディクかガゼルくらいはきっと捕まえて、穫った場所で焼いて食べたのだと思う。
 普通、狩りのとき大きな動物は殺さない。でもゾウを殺したときはちょっとした騒動になり、肉が持ち帰られ料理がはじまる。みんながすわって、じっと肉を見ている。誰も最初の一切れを口にしたくないのだ。それはディンカの言い伝えで、ゾウの肉を食べるときは、みんないっしょに最初の一切れを食べなければいけないからだ。もし一人で先に食べたら、結婚して子どもができたとき、その子はゾウのように唇裂になる、ということを信じているのだ。父さんが最初の一切れをかかげ、みんながそれに従う。そして全員が同時に口にいれる。
 夏になって水たまりが消え、動物たちがナイル川に向けて移動すると、ボクらはミルクと、母さんがカゴに入れて埋めてあった穀類を食べてしのいだ。
 父さんは旅に出ていることが多かったけれど、家に戻ったときは、どの奥さんの家にいようが、ボクは父さんといっしょにそこにいた。父さんは面白い人で、村の人は何か決めごとが必要なとき、秀でた口利きとして父さんを呼んだ。たとえば「娘の結婚で八十頭の牛を約束されていたのに、夫になる人から五十頭しかもらわなかった」というようなとき。頼んだ人は、その申し立てをしてもらうことで父さんに報酬を払った。原告と被告の仲介者として、牛を一頭もらった。父さんは半分はげ上がっていて、筋肉質でたくましく、ボクみたいに痩せっぽちじゃなかった。(後略) | 戻る |



「小さい頃のともだち」(ベンジャミン)より
 学校にいきはじめる前の夏、ヤギを放牧するのがぼくの役目だった。その二日目、ぼくは一頭いなくなっているように思った。
 「そいつはどこ行った?」 そう父さんがきいた。眉間にシワをよせていた。
 声がふるえそうになったけど、なんとかこういった。「茂みにかくれたんだ。よんだけど、でてこなかった」
 いなくなったヤギは、その晩もどってこなかった。次の日、ヤギが草を食みに草地にいっているとき、小屋のうらの木陰でともだちとあそんでいた。日差しが強烈になったとき、ぼくらは二、三分、目をとじてやすんだ。目をあけたとき、茶色のヤギが見えなくなっていた。耳がさけてたれさがり、走るときパタパタさせているヤギだ。
 「おまえのヤギを探しにいけよ」とともだちのデュオルがいった。「藪の中に入っていったんだよ」 デュオルは五歳、ぼくは四歳だった。デュオルはぼくに動物のことや、狩りの仕方をおしえてくれた。ぼくは勇気をふるいおこして、デュオルの言うようにした。草を食むヤギたちの間をぬけて、背の高い草の中をいき、家の向こうの茂みにむかった。ともだちが一緒に来てくれていればいいのに、とふり返ったけれど、みんなは木陰でやすんでいて、こちらを見てもいなかった。茂みにぼくは近づいたけれど、その薮は密生していて、ヤギの姿はみえなかった。そんなところに足を踏みいれたくはなかった。地面は見えないし、眠っているヘビでもふんだらこわい。棒をひろうと、それで草をならし、ぼくのヤギがびっくりして仲間のところに飛んでもどってくることをねがった。お祭りのときの太鼓みたいに、ぼくの心臓がなっていた。もう一度、力いっぱい草をうち、ひざを曲げて逃げられる体勢をとった。小さく草をゆする音がきこえたけれど、何もみえなかった。そして大きな足音がきこえた。ゾウがやってきてぼくをふみつぶしていくのかな、と思った。薄茶色のものがチラチラとみえた。ぼくはガゼルみたいに飛びのこうと思ったけれど、足が地面にささったようにうごかない。また足音。大きくはないけど、近づいている。そのとき恐ろしい悲鳴が、ぼくの胸からお腹をつきさした。ぼくのヤギの声だ。父さんがうしろから、槍をもって来てくれていたら、と思った。ぼくの固まった足がやっとうごいて、ともだちのところに走ってもどった。恐怖におそわれて、ぼくらは残りのヤギをかきあつめて、村につれかえった。
 ぼくらが動揺し、ヤギが村に逃げかえったのをみて、父さんは口元に手をあてた。
 「何かが薮でヤギをおそったんだ」とぼくはあえぎながらいった。
 「何が見えた?」
 「茶色いもの、それでヤギがいなくなった」
 「ハイエナだ」
 村の者みんなでハイエナをさがした。
 「ハイエナを恐がらせるやり方を教えよう」と父さんがいった。
 「小さな子をハイエナがこわがる?」 あんな大きな動物をこわがらせるなんて、かんがえられなかった。暗くなってから母さんがぼくをトイレにつれていくとき、とても用心するような生きものなのだ。
 その晩、ぼくは夢をみた。ハイエナがぼくの家のまわりにひそんでいて、ぼくとともだちが父さんがやって見せたように追いかけると、逃げていった。次の日、ぼくらは各自、自分の腕の長さくらいの丈夫な枝をみつけて、村のそばの小さな草地にヤギをつれていくことにした。ぼくらは警戒をおこたらなかった。何時間かの間は変なものをみたり、きいたりしなかった。ヤギの中には、暑い日差しの中でのんびり一休みするものもでてきた。ぼくは木によりかかり、重い目を開けているのに苦労していた。まぶたが半分おち、頭がボーッとしてきた。と、そのとき、小枝を踏んだような(ウサギが小枝を踏むより小さな音)をきいた。ぼくが何の音かと思うより早く、ヤギがすくっと立ちあがり、槍をもった猟師のように、目と耳を音のする方にむけた。ともだちとぼくは枝を手に、パッと立ちあがった。闇夜の満月みたいに目を丸くして、ぼくらは互いをみあった。
 「何の音?」とデュオルが小さな声でいった。
 また小さな音がきこえた。ほとんど聞きとれないくらいのかすかな音だった。でもヤギはそれを聞きとっていた。そして一匹がとびだすと、他のヤギもそれにつづいた。目の見えない人たちがひと塊になって、右往左往しているような走り方だった。
 ぼくは父さんの言ったことを思い出し、両手で太い枝の端をにぎり、頭のてっぺんにまっすぐ立てた。他の子も同じようにした。それで背が高いように見せて、前に少しすすんだ。「出てこい!」とぼくがいった。「出てこい!」 デュオルも低い声でさけんだ。他の子たちもそれぞれの声で、同じことをいった。ぼくらが父さんのような大人で、槍で殺す用意があると、ハイエナが思ってくれればとねがいながら。
 自分たちの声の他、何も音は聞こえなかったけれど、突然ヤギの群れの何匹かがパニックをおこした。ぼくらは声のかぎり大声でさけび、儀式のときに若い男たちがおどるみたいに、その場でとびはねた。
 僕らの声の合間に、バタバタともがく音が薮からきこえ、つぼが落ちてこっぱみじんになるみたいに、ヤギの群れがちっていった。金茶色のものが、日の当たる長い草のすき間からみえた。ぼくは恐がらせようと前にすすもうとしたけれど、その金茶色は、悲鳴をあげる子ヤギを連れて素早く姿をけした。ぼくには、かなり大きかったことがわかっただけで、姿はみえなかった。
 あとで父さんがきいた。「そのハイエナはどんな色だった?」
 「黄色みたいな、赤みたいな」
 「首はどんな風だった?」
 「太くて毛がいっぱい生えてた。頭にも」
 「それはライオンだ。行って始末せねば」
 村じゅうの男たちがあつまって、ジャングルにライオン狩りにでかけた。ぼくも一緒にいきたかった。あれはぼくのライオンだ。狩りをする一員になりたかった。でも四歳の子を、ライオン狩りにつれてはいけない、といわれた。村の男たちは夕方になってやっとかえってきた。大きな毛の房と尻尾をもちかえった。そしてこういった。「これがあのライオンだ。今度から、ライオンにはかまうんじゃない。危険な動物だからな」(後略) | 戻る |



第二部 ありんこが巣を追われるように
「災いが闇をもたらしたあの日のこと」より
ベンソン
 パンパン!という音が間近に聞こえ、僕は寝床から飛び起きました。一日じゅうヤギを放牧させて、夜早い時間に夕飯をたべ、姉さんの家の隣りにある小さな小屋で、僕はひとりで寝ていました。アンゴンを探して外に出たけれど、光がまぶしくて目がつぶれました。「アンゴン!」 僕は叫びました。犬が吠えたて、人々が泣き叫んでいました。パッとあたりが明るくなったと思ったら、すぐに暗闇に戻りました。耳をごう音がつらぬきました。地面が足元で揺れ、宙に浮いているみたいでした。そしてまた光が放たれ、地面がまた揺れ、耳をつんざく音が聞こえました。あたりの家が一気に燃えあがりました。すごい煙と土ぼこりと爆発音で、何も見えず聞こえなくなりました。からだがガタガタと震えました。みんなどこに行ったんだ?
 空から真っ赤な火の玉が落ちてきました。そのとどろく音が森の端まで響きわたりました。軍隊が強力な兵器で襲ってきたのです。僕は父さんの言いつけを思い出しました。「村から逃げるんだ。銃弾がとどかないところまで行って隠れるんだ。隠れていれば、やつらがおまえをさらって馬の背に乗せ、北に連れていって奴隷にすることはない」 だけど、父さんの言うことを思い出したとしても、それに従うときがくるとは思ってもみませんでした。アンゴンはどこに行ったの? また光った。煙で何も見えなくなりました。
 僕は父さんに教えられたように走りました。火の玉から、銃弾から、人々の叫び声から逃れ、ハイエナやライオンやサソリが這いまわっている闇の中に逃げ込みました。空には月がなく、ポツポツと星が瞬いているだけでした。あたりは真っ暗闇で、恐ろしい火の玉が光ったときだけ、どこに自分が足をついているか見えました。僕は背の高い草や薮をかきわけて進みました。地面のはるか上を走っているみたいで、からだは軽かったけれど、ひざが砕けたみたいに感じました。強い光が明滅し、間近に迫っているように見えました。逃げおおせるとは思えませんでした。
 長いこと走りつづけて、足がガクガクしていました。一晩じゅう走りつづけたみたいな感じで、ブッシュの下に入り込み、そこが安全であることを願いました。ウサギがするみたいにじっと立ち止まっては、どっちに行けばいいか考えました。僕は下着のパンツしかはいていませんでした。父さんが街で買ってきてくれた赤いパンツです。少し休もうと横になり、銃弾の音を飲みこむ森の縁でちらちらと光る蛍を見ていました。ひどく寒く、暗い夜でした。犬が吠え立てていたけれど、鳥は黙ったままでした。
 まだ夜が明ける前に、ブッシュのそばの草がさわさわと音をたてたので、僕はびっくりしました。僕がわずかに動くと、乾いた葉っぱが音をたててしまいました。
 「そこにいるのは誰だ?」 声が聞こえてきました。
 そんな声は聞きたくありませんでした。僕はカメのようにじっと黙っていたかった。
 「恐がらなくていい。わたしはディンカだ」 その声が言いました。
 その男がしゃべっている言葉は理解できたけれど、それが誰なのか、銃を撃ってきた者の一味なのか、わかりませんでした。
 「誰もいないのか?」 またその声が言いました。
 「ぼくだよ!」 思わず僕は言っていました。
 「ディンカの子なら、出ておいで」 小さな声ではあったけれど、はっきりと聞こえました。「ここにいるのは危ない。ありんこみたいにブッシュの中を這いまわっていてはだめだ。このブッシュは、夜にはコブラやサソリやヒョウが出る」
 僕は寒さと恐ろしさで震えながら這い出ました。僕くらい小さな男の子を連れた男が立っていました。
 「どこの子だ?」 男が訊いてきました。
 「デン・アクエクトクの息子だけど」
 「おまえの父さんを知っているぞ、デンマヨムディットだろう」 男は父さんの呼び名を知っていました。「村を通ったとき、おまえの家族とは会ったけど、おまえは知らないなあ。ここで何をしているんだ?」
 「姉さんの家にいたんです」
 「恐がらなくていい。わたしといっしょにおいで。父さんを知ってるから、おまえの世話をしてやろう。わたしはクワニーだ。この子はわたしの兄さんの子だ、アネイという。おまえもわたしを、おじさんって呼びなさい」
 僕は黙っていました。頭がカボチャになったみたいに、重くてぼんやりしていました。
 「おいで」とクワニーがまた言いました。「もっと遠くに行かなくては。あいつらは誰もを殺しにかかってる。わたしたちみんなを殺そうとしてるんだ」
 母さんのことを思って、僕は泣き出しました。心臓がドクドクと鳴り、からだを震わせて泣きました。
 「お母さんお父さんに会えるまで、面倒をみてあげるから。さあおいで」 そう言うとクアニーは、ジュオルを背に歩きはじめました。
 「母さんを見つけなくちゃ」 僕はすすり泣きながらつぶやき、村の方を指しました。
 クアニーが僕の手をとりました。「一人で逃げることはできない。道に迷うか、敵に見つかってしまう」
 その言葉に僕は怯えました。立ち上がって、男と小さな子のあとについて、頭の上まである露でぬれた草の中を歩いていきました。家族と別れて、自分だけで村を離れていくことが信じられません。ダダダダ、ボン!ボン、バン! 銃は変な音をたてて遠のいていきました。前に一度見た、井戸掘りの機械みたいでした。村の上空には、燃え立つ火が上がっていました。僕は声をあげて泣きたかったけれど、静かにしていなければ、と我慢しました。熱い涙が頬をつたい、ヒクヒクとしゃくり上げるのをとめられませんでした。
 僕たちは背の高い草の中や森林地帯を足を休めることなく、歩きつづけました。裸足の足は、冷たさから感覚が失せていました。何か尖ったものを踏んでしまいました。チクッと痛みが走りました。僕は裸で、パンツも露で濡れて湿っていました。両手を胸で合わせ、ひじを固くしめ、鼻をたらしながら歩きました。棒をかついでふざけていたあの日をいやな気持ちで思い出しました。兵隊の真似などすると悪いことが起きる、と言った母さんは正しかった。
 今まででいちばん恐ろしいことが起きたあの夜、すべてが変わりました。空が落ちてきて、僕を飲みこもうとしていました。太陽が死んでいく、母さんが言っていたことは本当だったのです。人間があまりに悪いことをたくさんしたから、昼が闇になったのです。
 人が近づいてくる音を聞いて、僕らは立ち止まりました。「すわって」とクアニーがささやきました。「声をかけるまで動くんじゃない」 クアニーはやって来る人たちの方に歩いていきました。「どこの人?」 そう訊きました。
 「ディンカだ、ビオンまで行く」
 「わたしたちもそこに行く。二人男の子を連れている。甥っことブッシュに隠れていた男の子だ」 クアニーが僕らのことを指しました。「こっちへ来て。さあ、行くぞ」
 その人たちは全部で七人で、女の人が二人とそのだんなさん二人、若い男が二人におばあさんが一人いました。二人の女の人は、銃撃がはじまったとき、自分たちの娘は踊りのお祭りに向かっているところだったと、泣きながら言いました。「神様、娘たちがどこにいたとしても、どうぞお守りください」 おばあさんがこう言いました。「いつもわたしが言っていただろう、夜踊りに行くと呪いがかかるんだ。いまどきの若い子が好きにしてると、呪いはすぐつくんだよ。あの子たちは、誰の言うことも聞きゃしないからだ」
 「なんでそんなことを言うのよ、ママ」 片方の女が言いました。「わたしたちに呪いでもかけたの?」
 二人が言い争いをはじめると、大きな爆発音が聞こえ、鳴いていた虫まで口をつぐみました。銃撃音がもっと近くでもっと大きな音ではじまりました。クアニーがアネイと僕をつかまえて、音と反対の方へと連れていきました。僕らはからだを折り、腰の曲がったおじいさんみたいな格好で歩きました。草が目に入らないよう、両手でおおっていました。遠くで雄鶏が鳴いていました。突然、ブッシュの中を銃弾の音が通り抜けました。一気に夢から覚めたような気分でした。ただその音を止めてほしかった。少しすると音は小さくなり、フクロウの鋭い鳴き声しか聞こえなくなりました。
 それから大きなざわめきが、僕らのすぐうしろから聞こえてきました。またブッシュの中に隠れました。大きな人の群れが近づいてきました。すべてディンカの人で、ニワトリを抱え、ヤギを連れていました。鍋や食器を結わえつけ、それが揺れてぶつかり音をたてていました。クアニーがその人たちに挨拶をしました。
 「大丈夫かい?」 肩に赤ん坊を乗せた男が訊いてきました。
 「ああ」とクアニーが答えました。「こっちは三人だが、家族や親戚を探しているところだ」
 僕ら三人は、その人たちと一緒になって歩きました。太陽が顔を出しはじめました。ビオンの村に着くと、その人の群れは、知り合いや親戚を探して散っていきました。ビオンの村の女たちが家から出てきて、僕らのことを浮浪者か、敵を従えた乱入者かのような目で見ました。僕はジュオルから来た人を見つけたかったけれど、どこにもいませんでした。(後略) | 戻る |



「銃をもった男たち」より
ベンジャミン

 日が沈んでいく頃になって、銃を持った男たちがやってきた。ぼくはトウモロコシ畑のそばで、ヤギの世話をしていた。その男たちはぼくらのように黒い肌ではなく、茶色や白い色をしていた。ぼくのことをネズミを追うコブラみたいな目で、じっとみつめた。一人が何かいった。ぼくには何をいったかわからなかった。もう一人が「ほっておけ、小さな子どもだ、何もしらない」というようなことをいったみたいだった。ぼくをおいて、その男たちは村の方にむかった。
 ぼくの家に着く前に、男たちは銃をはっしゃしはじめた。村の人たちがあちこちに散ってにげた。屋根が燃えあがっていた。ぼくはヤギをおいて、母さんのところに走っていこうとしたけれど、庭の真ん中に銃をもった男たちがいて、そこをとおれなかった。村がやられていた。母さん父さんが、にげてくれていることをねがった。ぼくはブッシュにかくれようと、走ってもどった。銃の男たちがもどってきて、ぼくを捕まえ殺すのではないかとこわかった。銃をもった男たちが、ぼくらの牛をころし、粟やサトウモロコシの畑に火を放つのをみていた。人が生きていくのに必要なもの全部、めちゃくちゃにしていた。
 あたりは暗くなり、シンとして物音がきこえなくなった。隠れているところから出ても安全か、ぼくにはわからなかった。人の声が聞こえてくるまで、じっとしていた。母さん父さんをみつけたかったけれど、よく注意しなければ。一歩ずつ、ぼくは道路にでていった。
 「どこに行くんだ、ぼうず」 その人たちはぼくらの言葉をはなしたけれど、兵士のようにみえた。反乱軍なのか政府軍なのかわからず、ぼくは闇の中にまた走りこもうとした。
 「どこでもない」
 「どこに行くんだ?」 またきいてきた。
 「どこでもない。ママがどこにいったかわからない、パパがどこにいったかわからない」
 「あっちの方に行くんだ」とその男たちがいった。「そっちに行けば、ほかの人たちがいる」
 男たちはぼくをそっちにいかせ、ぼくはそれにしたがった。すぐに道を歩いていく人々とであった。一人ずつ、ぼくはみていった。たくさんの子どもたちがいた。ぼくと同じくらいの年の子にきいた。「ぼくの家族を見なかった?」
 「ううん、ぼくらも家族をさがしてる」
 それから少しして、人の群れの中に、いとこのリノとエマニュエルをみつけた。嬉しかったけれど、ぼくは母さん父さんと何とかしてあいたかった。リノとエマニュエルは泣いていて、同じように母さん父さんをさがしていた。二人と一緒になって、暗い中をあるいた。しばらくやすんだあとで、大人の人がやって来てこういった。「ぼうやたち、すぐにここを発ったほうがいい。家に帰ったら危ない。一緒についておいで」
 それ以外に道はなく、ぼくらはそうした。
 みんなで昼も夜もあるいた。ぼくはくたくたで、ずっと泣いていた。それ以外、何もできない。ぼくはただフラフラと前にすすみ、リノとエマニュエル、出会った子たちと一緒にあるいた。みんな泣いていた。
 二日間歩いたあと、ぼくらはトンジという町についた。人の群れがうごきまわっていた。あまりに長い時間あるいたため、からだとてもいたかった。自分の家でねたい、母さんと一緒にいたいと思ったとき、通りの向こうにマットにすわった男の子がいるのがみえた。いとこのベンソンみたいにみえた。すごくうれしかった。ベンソンはぼくより少し年が上で、これからどうしたらいいか、おしえてくれると思ったからだ。
 「ベンソン!」とぼくはよんだ。きこえていないようだった。ベンソンは一人ですわって、かんがえこんでいた。家族のことをかんがえているのだ。ぼくはもっと大きな声でさけんだ。「ベンソン!」 ベンソンがまわりをみまわした。ぼくが手を振るのに目をとめない。ベンソンは声におどろいたようだった。(後略)
 | 戻る |



「訳者あとがき」(だいこくかずえ)
 スーダンのロストボーイズのことを知ったのは、2011年の初め頃でした。長期にわたる内戦があったスーダンで住民投票があり、その結果次第で国が南北に分離する、という記事を読んだときのことです。ロストボーイズとは、その内戦によって難民となった、たくさんの男の子たちの呼び名でした。ロストボーイズは村が突然襲われて親と別れわかれになり、アフリカの大地を着の身着のまま(といっても小さな子たちなので、ほとんど裸にはだしでしたが)、集団で何ヶ月にもわたり逃げて歩きました。
 この本の三人の著者、ベンソン、アレフォ、ベンジャミンが避難と放浪の生活に入ったのは、それぞれ五歳から七歳のときでした。五歳や七歳の子が、何ヶ月にもわたって、砂漠が広がりライオンやハイエナが住む野生の地を、徒歩で逃げきることなど可能なのでしょうか。
 街を歩いているとき、その年齢の子どもたちがいつも気になりました。この子は何歳だろう、ベンソンやベンジャミンと同じくらいではないのか。この子はあのアフリカの大地を、食べもの飲みものなしで何日も歩きつづけることができるだろうか。
 この本を読んでいちばん感銘を受けたのは、子どもというものがもつ潜在能力の高さでした。どんな状況におかれていても、少しでも余裕ができれば、笑いふざけあい、サッカーをし、面白いことを言い、と命をとりもどし「生きはじめる」のです。人生においてユーモアは大事、それなしには生きている気がしない、とこの本の中でアレフォは書いています。また様々な解決しなければならない問題、食べものがない、虫にたかられる、というようなことを、食べても大丈夫な葉っぱを探してスープにしたり、虫にむしばまれた足を冷たい川で毎朝洗って退治したり、と自らの頭で考えだした方法で、自分自身を救っています。人間には、小さな子であっても、自分を救う能力が備わっている。そこに人間の力を、子どもの潜在能力を見ました。それはきっと幸せに不自由なく暮らしている、日本の子どもたちにも備わっているはずのものです。ただ生存能力を試す機会がないだけだと思います。
 もう一つ、この本から学んだことがあります。難民となった者のいちばんの辛さは、誰かに頼らずには生きていけない、援助なしには明日がない、という自分に対する無力感だということ。これは世界中のあらゆる難民に共通する気持ちだと思いました。
 ベンソンは、ケニアの難民キャンプの事務局が難民の総数を把握するため、「子どもも、赤ん坊も、すべてがセンターに来るように。ネコやニワトリをのぞく全員だ」と言って人を集めた言葉から、「ネコやニワトリをのぞく全員」というタイトルの文を書きました。そう言われたときのベンソンの気持ちは、どんなものだったのか。自分たちが難民キャンプでどのような存在であるかを、切実に感じた瞬間だったかもしれません。
 難民は常に、見られ、語られる対象として、世の中に存在します。多くの難民は口をもちません。この本では、難民である三人の子どもたちが、どのように自分たちに施される国連の救援活動を見ていたか、白人の調査隊や記者の人々をどう観察していたかが語られています。その視点は、ニュースでは知り得ないこと、見えなかったものを、わたしたち読者に見せてくれます。いいところであれ、悪いところであれ。待ち望んでいた食料のかわりに、蚊帳にするビニールシートが届いたとき、ベンソンはこう書いています。「二、三日のうちには生き血が消えるというときに、たいした功績です」 適切な援助をすることが難しいのは理解できます。でも日々、生死の瀬戸際に立たされている子どもたちの口から、こうした非難の言葉が吐かれることも当然なことに思えます。もちろん彼らも多くの部分では、そうした援助に最大限の感謝はしているのですが。
 この本は、アメリカに逃れることができた「運に恵まれた」三人によって書かれました。彼らはアメリカで、今までと違う新しい人生を築きたいと思う一方で、自らの体験を世の中に伝えることで、今もアフリカで苦しい思いをしている人々を救いたい、と強く願っています。
 | 戻る |
ペーパーバック版(POD)
発売日:2014年7月
価格:1750円(本体価格)
Kindle版(amazon.co.jp)
発売日:2014年7月
価格:500円

そ ら か ら ひ の  た ま が

ジュディ A・バーンスタイン