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一、二/你、三、好

教科書を超えた調停に挑む

Mediating beyond the book By 梅佳/ Mei Jia ( China Daily)
China Daily: 2013-01-31 07:43
写真:調停の仕事に加えて、キ・シャオミンは有機栽培温室のプロジェクトを通して、より強い共同体をつくりたいと願っている。Mei Jia ( China Daily)

社会学を専攻する学生が、紛争解決の集中訓練コースをとり、問題のある共同体を結束させる手伝いをしている。吉林省白山の梅佳の報告から。

吉林省白山吊水壶村の平和は、2009年に中国・カナダ合弁会社が、村の貴重な地下資源(金)の採掘を始めて以来、くだけ散った。

1985年生まれの吉林大学の社会学科院生、キ・シャオミンがこの村にやって来たのは、地域共同体と採掘会社の衝突がピークに達したときだった。

村人たちは、採掘現場への唯一の出入り口である道を閉ざした。会社は四ヵ月の間、採掘をやめ、日々の多大な損失に直面した。

キは現地調査のプロジェクトに参加するつもりでいた。そのように、省都である長春のキャンパスを出るときには言われていた。

しかし到着してすぐ、村人と地方自治体と採掘会社の関係を修復させる調停のために、ここに送られたのだとわかった。これはほとんどの学生にとって請け負う機会がめったにない、難しい役割だ。

「ぼくは誰からも公式に雇われているというわけではありません。誰もぼくの社会保障をしてくれるわけでもないですし。でもぼくは自分がやっていることを仕事にしたいと思いました。そしてぼくが必要とされているところに、いたいと思ったのです」とキは決然とした面持ちで言う。

彼のような大学院生にとって、このような決断は簡単にできるものではない。同級生たちが公務員やもっと安定した将来性のある職を目指している中、キは400世帯の村で、「何者でもない存在」として働くわけだ。

「ぼくは給料のいい、安定性のある仕事につくことをあきらめました。それでここに三年間留まっているのです。もう少しここにいようと考えています」とキは言う。

2009年に、世界的な金鉱採掘会社の一つであるエルドラド・ゴールドの傘下にある、吉林BMZ採掘会社がこの村で事業を始めた。

この村の住人ガオ・ウェイシン(61)は、採掘現場から村人が洗濯につかっている川へと、赤い水が流れ出ているのを見つけた。村の住人はまた、大きな採掘用トラックが夜出たり入ったりして、その騒音に苦しめられてもいた。

「わたしたちは村人の害になることが起こることを心配していました。また約束されていた補償も、完全には行なわれていませんでした。それでこの採掘をやめてもらおうと決心したのです」とガオ。

2009年6月から道路の封鎖をする一方で、村人たちは様々なレベルで地元役人とも接触した。会社の従業員と直接話すことは、拒んでいた。

会社側が四者会合で、水質改善のための機械の設置を申し出るまで、こう着状態は4ヵ月続いた。

「村の住人にとっては、採掘会社は侵入者です」 そう言うのはエルドラド中国のリスク管理および共同体交渉の統括マネージャーであるガオ・シリン。「他の工場と違って、我々は紛争を避けるために、別の場所に移動することができません」とガオ。

侵入者からよい隣人に変わりたいという思いから、ガオと同僚は、地方自治体と村人と吉林大学の代表者による会合をスタートさせた。

吉林大学の代表者として選ばれたキは、ここに来て、自分たちの訴えが受け入れられないと怒る村人たちの集団と対面することになる。

「一時は村の群衆に、六重の輪になって取り囲まれ、ひどく動揺しました。その中には、わたしの事務所を取り壊すと脅した人もいました」 そうキは言う。

村会議長のザン・ケジュンは、最初、大学生がやって来たことの意味も、どうやってその人が状況を変えられるのかも、よくわからなかったと言う。

「ぼくはとにかくしんぼう強く、人々の話を聞き、ノートを取り、返事をする日程を約束することのみに取り組んでいました」とキは言う。

キは昼も夜も、そこにいる人々全員と話しつづけた。やがてキは知識を吸収しはじめ、法律や技術、農業、地域の慣習、地域の言葉を理解するようになる。

「最初はここの言葉がほとんど理解できませんでした。今は白山の人のように話せます」とキ。

紛争の中核となっていた廃液流出の問題に取り組むため、キは4人の役人チームとともに調査を開始した。水質検査をしたサンプルを集め、廃液の質と量を法的な基準値にまで下げるよう、会社側に要請した。

キは会社側に解決策を提出するよう強く主張する一方で、限りなくたくさんの話し合いや会合を通して、村人の怒りを静める努力をした。

最終的に、会社側は上流からの水による水道水を全村に供給すること、水道管が設置されるまでの間の、村人の損失を補償することに賛同した。

キが四つのグループにおいて中立的であるとわかるにつれ、ガオと共に活動する住人たちは、友人としてキを受け入れはじめた。

「キは我々の問題に真剣でした。いつも責任感をもってやってくれました」 そうガオは言う。

それぞれのグループから信頼を得て、キはここに留まることを決心する。そして今も月に一回の会合を続けている。会合は会社側や自治体の役員の出席を条件づけているので、起きている問題を時を外さずに協議し解決することができる。

2012年の終わりまでに、キの四者協議事務所は、村人700人(2010年の420人を含め)の訪問を受け入れた。

「へき地の現実というのは、教科書に書いてあることの何倍も複雑です」とキは言い、水の補償金として2010年に500人の住人に対して、計850,000元($135,000)を支給しはじめたことをつけ加えた。しかし支給が完了したのは2012年になってから。「あまりに細かい取り決めや意見の不一致、言い争いが多くて」とキ。

キは今、地方自治体と道路や有機野菜の温室をつくること、天然災害の影響から地域を守ることなど、会社と地域の発展のために活発に働いている。自治体はまた、進歩的な農業技術を見るために、村人を農産物フェアに連れだしもしている。

村の住人の年収は、2009年の一人当たり3000元から2011年の7000元まで伸びている。多くの若い層が採掘会社からの仕事を得てもいる。

住人のガオは最近、家族で美しい庭のある新しい家に越したと言う。近所の人たちは車を買いはじめてもいる、とも。

「近隣の村から来た人たちは、わたしたちをうらやんでいます」 そうガオはつけ加えた。

2011年に修士号を取得した後も、キは村に住みつづけている。四つのグループ集合体の臨時事務局長として、大学、地方自治体、金鉱会社から5000元の給料が支払われている。

キはまだ未婚。「何者でもない」人間と関係をもちたいと思う女性は少ないから、と言う。自分が何をやっているのか、女の子たちにわかってもらうには、多くの説明がいりますし、とも。

「ぼくはこれまで社会の状況にばかり関心をもってきました。でもしっかりと地に足をつけることより重要なことはありません。それによって日々を変えていくのです」

甘粛省隴西県の農家に生まれたキは、農業を営む人々のために何かできることをしたいと言う。

「変わりつつある地方の最前線に立ち会えて、それをより良くするための機会をもてて、とても幸運でした」 こうキは話を結んだ。



オリジナルテキスト:Mediating beyond the book by By 梅佳/ Mei Jia ( China Daily)
日本語訳:だいこくかずえ


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