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小さな子どもに導かれ

A little child shall lead by Tiffany Tan ( China Daily)
China Daily: 2012-12-23 08:52
写真(China Daily):アミンタ・アーリントン(左)、養女のグレース(中央)、グレースの姉と弟は、山東省泰安市の友だちを訪問した。泰安市は北京に越して来る前、アーリントン家が4年間住んでいた場所。

養子にいったたくさんの中国の子どもたちが、海の向こうの新しい家族とともに、しばし中国に住むため帰ってきている。長い人生において、自分のルーツと触れ合うことがその子たちのためになる、という希望のもと行なわれている。ティファニー・タンが家族に話を訊いた。

子どもたちの「サンタクロースがやって来る」の歌声が北京のリド・ホテルのロビーに響くなか、バルコニーにいる一人の女の子がコーラスに合わせてからだを揺らす。赤いセーターにジーンズをはき、メタルフレームの眼鏡をかけ、黒い髪を二つに結んでお下げにした七歳の子は、ホールにいる他の中国人の子どもたちとそっくりだ。でもそれはその子が背後にいたブロンドの女性のまわりをぐるっと回って、こんな風にまぎれもないアメリカ英語で口走るまでのこと。「マム、見て、サンタがいるよ」 重慶市の児童養護施設から、ルースは2007年末、リン・コーゲルマンと暮らすためにヴァージニア州リッチモンドに向かった。アメリカでルースは公立学校に通い、バレエのレッスンをしたり、ハロウィーンにはお菓子をねだりに近所をまわった。

そしてこの6月、ルースと養母は荷物をまとめ、中国の首都にやって来た。38歳のシングルマザー、コーゲルマンはルースの視野を広げるために、海外で住む機会を与えたいと思ったのだ。連れて行きたい場所のリストの一つに、ルースの生まれた国があった。

「ルースはまったくのアメリカの女の子ですが、中国人の血も流れています。それをなくしてほしくないと思いました」 シカゴ生まれのコーゲルマンは、ルースが楽しげに歌声を響かせている北京の自宅でこう言う。

「これはこの子がこの国の文化を体験したり、言葉を学んだり、自分には母国が二つあることを知る機会になります」

母と子は中国で2年から4年くらい住む予定でいる。

コーゲルマンは北京のインターナショナルスクールに、カウンセラーの仕事を見つけた。ルースはその学校の2年生。母娘は学校からほど近い、3階建ての家を借りている。スヌーピーという名の猫も飼っている。

コーゲルマンは、中国人の子どもを養子に迎え、しばらくの間、家族で中国に住もうと決心した親たちの中の一人だ。中国での体験が、子どもにとって健全で幸せな人生を歩む手助けになると信じている。

1992年に中国が国際間の養子を認めて以来、何万人という子どもたちが、海を渡って海外の家族のもとで暮らしている。

中国の一人っ子政策(様々な例外規則が存在もするが)と、中国の昔ながらの考え方(男の子の跡継ぎを重視するという、特に地方で顕著な考え)によって、女の子を養子に出す家庭が多く出たと見られている。

アメリカのメディアによれば、中国からの子どもがアメリカ合衆国では8万人に達したと言われる。中国は、アメリカで養子の数が多い国の一つである。

北京での半年が過ぎてなお、コーゲルマンとルースは地元の辛い料理に慣れないでいる。コーゲルマンはまた、職場や自宅での基本的な北京語での会話にも苦労している。

とはいえ、二人の移住は実りも生んだ。最初の2、3ヶ月で、いくつかの前兆が現れはじめた。

「外との交流においても感情的にも、ルースはここでは楽にやっているように見えます。また学校で中国語の授業を受けるのを楽しんでいます」と、コーゲルマンは9月中旬にメールに書いてよこした。「この移住は、ここに来たときには想像できなかったような方法で、ルースのアイデンティティを固めつつあります」

クリスとアミンタのアーリントン夫妻には、コーゲルマンの喜びと苦労が、そしてここにやって来た理由が、理解できる。この夫妻も中国に住むアメリカ人で、中国から引き取った娘の養父母である。

夫妻には二人の実の子どもがいて、その子どもたちも連れて2006年に中国にやって来たので、養女のグレースは、中国系アメリカ人である自分の中の中国的なところをよく理解することができたようだ。

「ここには豊かで奥深い文化があり、わたしたちの娘がそれを知らずにいることは、大変かわいそうなことです」 アミンタ(42)は、夫婦そろって英語を教えている中国人民大学の家族宿舎でそう言う。「この機会は取り上げられるべきではないと思うのです。グレースはここから来たのですから」

クリス(52)はこう付け加える。「あなたは自分のアイデンティティの一部をなくしてしまうことが想像できますか? そこがただ空白になっていたら、どうですか? あなたの人格にどのような影響を及ぼすでしょう」

山東省泰安市での4年の後、そして北京でのほぼ3年間を経て、夫妻はこの目的を果たしたのではないかと考えている。

中国の公立学校に通ったことで、9歳になるグレース、姉のキャサリン、弟のアンドリューは、ほぼ中国人のように中国語を使いこなす。いまだグレースは人見知りをするものの、中国料理には目がないようだ。

ワシントン州リンデンからやって来たアーリントン家は、グレースの里親家族が住む江西省を訪れていた。

ハンル村で、夫妻はグレースが養女として海を渡る9ヶ月前のことを知り、その頃世話をしていた人々にも会い、さらにはグレースの初めてのハイチェアも目にした。

「グレースの生まれについて、わたしの娘になるまでのことをわたしは知りませんでした」とアミンタはその回想録「家とは豚に屋根と書く(Home is a Roof over a Pig): アメリカ人一家、中国を旅する」で述べている。

「でもグレースには他のことを与えられたと思う。村のみんなが彼女を覚えていたんです。グレースはただ中国人だというだけでも、江西省のどこかからやって来たというのでもない。彼女はまさにこの場所から来たんだ、という認識が与えられました。地図の上の印じゃない、ここに住んでいて、彼女を愛していた人々の顔とともにある本当の場所なんです」

夏に出版されたアミンタのの本は、この家族の副産物の一つにすぎない。

中国で祝う最後のクリスマスになるであろうその日、食卓を準備をするアーリントン家が心に描くのは、ここに来てつくった中国の友人たちであり、その人たちとグレースの生地について調べ、大家族のように親しくしていたときのことだ。



*"Home is a Roof over a Pig: An American Family's Journey in China"(家とは豚に屋根と書く:アメリカ人一家、中国を旅する)by Aminta Arrington(ペイパーバック版、キンドル版)

オリジナルテキスト:A little child shall lead by Tiffany Tan ( China Daily)
日本語訳:だいこくかずえ


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