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ソックス・アラウンド・ザ・クロック

Socks around the clock by 苍微と宋文伟(Cang Wei and Song Wenwei / China Daily)
China Daily: 2012-10-02 07:43

マイケル・ジャクソンのサイン入りソックス、それとも中国最初の宇宙飛行士が履いたソックス? さあここがその場所、江陰市(こういん)の苍微と南京市(なんきん)の宋文伟のレポートです。


野心を実現するまでに一生を費やす人がいる。ズー・チェンは中国最初のソックス博物館をつくるという生涯の夢を、27歳で叶えようとしている。

チャン・ソックス博物館は現在建設中で、11月にオープンする予定である。世界中から集められた何千ものソックスを展示し、来館者は世界のソックスの歴史をたっぷりと見ることができる。

「3000平方メートルの博物館の敷地内では、調査研究、教育、エンターテインメントに分けられた展示が一同に会します」とズー。有名人、著名人のソックスコレクションや有名ブランドのコレクション、双方向イベントゾーンを含む、七つのセクションで構成されると説明する。

ソックス博物館は、高品質のソックスの生産で知られる、江蘇省の地方都市である江陰市の华士镇区にある。旅行者はここに来て、その風光明媚さと出会って驚かれるのでは、とズーは言う。

ズーの話。「江陰市は、ソックスの機械編みの技術が中国に紹介された1900年代から、ソックスを製造してきており、わたしはたくさんのソックス工場が建ち並ぶ、そんな街の一つに育ちました」

ズーは小さな頃からソックスが大好きだったが、ソックス製造業にかかわるようになったのは、20歳を過ぎてから。

2005年、ズーが大学生のとき、故郷の街でつくられたソックスを学校に持ち帰り、同級生に売り始めた。2007年、両親との交渉の末、ズーは実家の建物を486,000元(77,000ドル、59,380ユーロ)で売りに出す。100,000元をそれに足し、2年間に渡りソックス販売を続けて、卒業後すぐに自分のソックス工場を設立した。

「当初、わたしの工場には6人の従業員しかいませんでした。今は100人以上の人が働いており、年間の売上は50億元を超えています」

チャン・ソックス博物館では、ズーの工場でつくられた、特別な機能を備えた多種多様なソックスを特集している。防火性ソックスあり、汗を吸収発散しやすいソックスあり、また「一年中のソックス」として知られる、冬には熱を放射し、夏には冷やす効果があるソックスなど。

ズーが世界の中で注目するソックス博物館は、日本に一つ、フランスに一つあると言う。

「でも中国のソックス博物館は来ていただいて、さらに興味深いものがあります。マイケル・ジャクソンのよく知られた白いソックスや、昔の纏足の中国女性が履いていたソックス、中国初の宇宙飛行士から提供されたソックスなどがありますから」

「興味のある来館者には、どのようにしてソックスの機械編みがなされるのかを見せるビデオもあります」 そう言うのは、博物館館長のリー・ジンヤン。「双方向体験ゾーンでは、来館者は自分のソックスをつくり、古い時代の編機をつかって、サイドに自分だけの飾りを付けることもできます」

来館者はアルマーニやジバンシー、ディオールといった有名ブランドのソックスを買うこともできるが、この博物館の特徴は、流行のものから古代のものまで、中国のものから海外のものまで、と幅広いコレクションがあることだ。

ソックス博物館をつくるというアイディアが提出され、地域の行政から支援を受けることになったとき、5人のチームメンバーが価値あるソックスを探しにあちこちに送られた。

できるだけ価値あるたくさんのソックスを集めるために、そのチームメンバーは故郷の蚤の市を視察したり、海外へ行ったり、オークションで出物を買うよう友人に頼んだり、インターネットで寄付を募るメッセージを出したりもした。

「ある日、あるフランス人が貴重なソックスをもっていることを知りました」とズー。「わたしはすぐにフランスに飛び、その人を訪ねました。最初そのフランス人はわたしにソックスを売ることを断りました。しかしわたしが中国初のソックス博物館に飾るものだと説得すると、その人は最後に首を縦に振ったのです」

チームはまた、古い時代のソックス集めに効果的な方法を考えついた。歴史ある街に何世代と住んできた人々に、その人たち一族の昔のソックスを提供してもらい、新しいソックスと交換したのだ。

日本の会社から寄付されたソックスの例のように、他社との共同によって、博物館が歴史的に価値あるソックスを得た例も数多くある。さかのぼること1930年代、そのソックスは最初のゴム止め付きのもので、足首からソックスがずり落ちることを防いでいる。

「歴史的な貴重品という理由から、そのソックスを製造した日本の会社は、片一方の足の分だけしか提供してくれませんでした」と笑いながらズーは言う。「博物館の準備中には、日本のソックス博物館からたくさんのことを学びました。わたしは心からその寛大さと友情に感謝しているのです」

ズーによれば、漢王朝(紀元前206年ー紀元220年)以前の墓からは、ほとんどソックスは見つかっていないという。当時人々はすでに靴を履いていたのであるが。紋織りのソックスは漢王朝の墓から見つかっているが、色の鮮やかなものは、隋王朝(紀元581ー618年)以降まで、広くソックス製造に使われることはなかったようだ。

宋王朝が始まる960年までに、中国の人々はソックスをよく履くようになっていた。普通の人々は綿のものを履き、金持ちは絹で織られたものを履いた。宋王朝の纏足を履いた女性の中には、ソックスの代わりに、長い綿の布地で足をおおっていた者たちもいたらしい。

ソックスに刺繍飾りが現われたのは、清王朝(1644ー1911年)の時代だとズーは言う。

「ソックスは何世紀にも渡って、人々を心地よくするために発展してきました」とズーは言いながら、非情に軽くできているために、履いている人が履いていると感じないくらいの、ソックスの新製品を紹介する。

最近、日本は透明ソックスというものを発明した。それを履くと、肌がなめらかで輝くように見え、ちょうどナイロンストッキングのような機能をもっている、という。

「今日、ソックスはファッションの重要なパーツとなりました」とズー。

ズーの工場の次の目標は、世界レベルのソックスを数多く作ることだと言う。

「多くの有名な海外ブランドと比べて、中国製のソックスは素材や技術においてあまり評価が高くありません。中国のソックス産業は、変わる必要があります」とズー。

「多くの中国のソックス工場が、低価格市場で競り合っています。その結果それらの工場は、生き残りをかけて苦しんでいます。そしてもっと質の高いソックスが買いたいと思っている多くの顧客は、そういった商品を見つけることができないでいるのです」

ズーはさらにこう言う。「もう一つの重要な事態は、中国のソックス産業が直面している問題で、それは若い層の人々が利益が少ないことから、この産業に興味を持たないことです」

「ソックス製造技術は前進してはいるのですが、ソックスをつくるには多大な労働力が求められます。斜陽産業などと言われることすらあります」 そうズーは説明する。

「わたしは自分の努力が、ソックス産業が健全なものへと発展する助けになってほしいと思っています。ソックス文化を多くの人に知ってもらうために、ソックス博物館をつくったのはその第一歩です。まだこの先の道のりは長いことはわかっています」



オリジナルテキスト:Socks around the clock by 苍微と宋文伟(Cang Wei and Song Wenwei / China Daily)
日本語訳:だいこくかずえ

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写真:左から時計回りで
絹のストッキングとダンスシューズ(18ー19世紀のヨーロッパのもの)、遼寧省のソックス工場の赤ランタンブランド(1967−1976年)、中華民国時代(1912ー1949年)の上海ソックス工場の広告、清朝後期(1644−1911年)に纏足の女性たちが履いていた睡眠用ソックス、マイケル・ジャクソンが1988年、リーズでのコンサートで履いていたソックス、清朝の役人が履いていた春用ソックス(白い麻製で、足の裏に刺繍が施されている)、19世紀のフランスのストッキングは高価なギフトだった。(China Daily)