コンファレンス、討論会、詩のリーディングは午後4時ごろ再開とのことだった。その間、みんな好きなように時を過ごした。とめどない議論、何杯ものお代わり、昼寝、あるいはその両方。イオアナは旅の疲れを癒していた。彼女が自分の古いルノー・カトルズ(1キロ1キロがあの世行き瀬戸際の)を運転し終えたのは賞賛に値する。山沿いの道ではなおのこと、エンジンは息たえだえでフーフー言っていた。ヴァシーレとわたしは特に当てもなく、その辺をぶらつくことにした。それなりに賑わいのあるS市は(少なくとも見かけは)、友人が指摘していたとおり、西ヨーロッパの街並によく似ていた。
中央広場のあたりに、娼婦たち(「売春婦」とは言いたくない。この言葉はいやだ)が客を探してうろついていた。「お茶の時間にもってこいだな」 一度だけヴァシーレが冗談めかして言ったが、わたしは無視した。わたしたちは成りゆきでフランス語で話していた。わたしのルーマニア語の知識は限られていたから(礼儀を欠く言葉も多く)。ヴァシーレは独裁政権下で押収された自分の原稿の一つが、どのようにして旧ルーマニア治安警察のファイルから奇跡的に発見されたのか、について話していた。それは架空の全体主義体制を激しく批判したもので、比喩的に書かれてはいたが、検閲官の目をあざむくことはできなかった。題は「Razbunarea calicilor」(貧困者層の報復)。20年以上たってそれは出版され、ルーマニアの批評家たちからは温かく迎えられ、小説としても幅広い層にわたって支持を得た。ヴァシーレは独裁政権によって押収された青春を再発見しているような気分だと語った。それは青春の苦渋をまた体験することでもあった。小説はわたしたち共通の友人、詩人のアレクサンドル・カルヴォフスキーによって訳され、ロシアでも出版されることになっていた。さらにヴァシーレとわたしでフランス語に訳すことも計画していた。
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