IV 2100時

イローナ W. へ

 2、3年前のこと、わたしはS市で開かれた詩の催しに招かれた。S市はルーマニア北部にある小さな町で、ハンガリー国境からそう遠くはない場所にあった(ささいなことだが意味がある)。何カ国かの詩人たちが集まったが、東ヨーロッパの人々がいちばん多く、西ヨーロッパからもいくばくかの人がいて、その中には退屈きわまりないフランスからやって来たわが同胞の顔もあった。わたしはといえば、ほとんどの時間をルーマニアの友人たちと過ごした。中でもヴァシーレという、ブカレストでも著名な出版社オグリンダのディレクターといっしょにいた。
 そしてマリカがいた、、、、、、。
 何よりも、この集まりに招いてくれたヴァシーレには感謝していた。ヴァシーレはわたしの詩や短編をルーマニアの文芸誌に翻訳してくれており、それをアンソロジーとしてオグリンダから出版することも考えてくれていた。ヴァシーレには1996年、ルーマニアのイアシで出会った。そしてすぐに親しくなった。ヴァシーレは彼の同胞の多くがそうであるように、フランス語を流暢に話した。詩や散文の技量ある書き手としてしばしばフランス語で作品を書き、それをルーマニア語に訳したり、その逆も同様にやっていた。また、フランス語で書く作家たちの作品をルーマニアの出版社のために訳してもいた。
 ブカレスト空港に着いたのは夕方だった。ヴァシーレと妻のイオアナが迎えに来てくれていた。イオアナは翌朝までに目的地に着くよう、一晩中車を駆ってくれた。

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