わたしがハノイに行ったのは6月の下旬で、気温は日中40度近く、通りは絶え間なく大量のバイクが走り、道路を渡るには、その中をかいくぐっていかなくてはならず、はらはらして、景色を楽しむ余裕があまりなかった。
そんなある日、ポストカードを出すために、ハノイの中央郵便局に行った。
19世紀末、フランス領だった頃に立てられた、ヨーロッパ風の美しい建物のガラスケースの中に、
モノクロの写真のポストカードを発見した。
それは、おそらくフランス領事下だったころのハノイの写真で、インドシナというロゴが入っていた。
そこに写るノスタルジックで少し退廃的な印象の風景に、妙に惹きつけられた。
その風景を心にとどめながら、近くにある、ハノイ教会に立ち寄った。
教会も19世紀末に立てられた建物で、中に入ると、暗く静かで、きらびやかな祭壇とステンドグラスが際立っていた。
隅の方に、ベトナム人の牧師だったらしい人の肖像写真がまつられ、バラのブーケと赤いキャンドルがハート型に供えられていた。
教会の歴史的背景は何も分かっていなかったけれど、なんだかここだけ時間が止まっているように感じた。

そして、また外に出て喧騒に紛れた。
けれど、同じ風景なのに、何かが変化していくのを感じた。
古い写真と建物を見たからだろう。
目の前の風景の100年くらい昔のイメージがフィルターのように町並を覆った。
頭の中に妄想を膨らませながら、バイクの渋滞を横断するのはかなり危険だったと思う。

風景のいつかと同じように、人のいつかについて。
わたしの時間について考える癖は子どものころからで、小学生の時、友達と楽しく遊んでいる最中に、
「おとなになったら、いつか今のことを懐かしく思って、せつない(という言葉は知らなかったかもしれないけれど、そういう)気持ちになるんだろうな」
と思ったことも覚えている。   
 (つづきを読む)

5. 目のまえの、いつか〜ハノイ(ベトナム)