どの言語の感性で見ようか
息もできない Breathless 똥파리(トンパリ)
製作・監督・脚本・編集・主演ヤン・イクチュン


不思議な出会い方をした上に、不思議な見方をしてしまった映画。自分にとって、まったく未知の制作者たちによる韓国作品である。
夕刊に載っていた1枚の写真、それがこの映画のスチールだった。映画紹介ではなく広告。チンピラ風の男と女子高生らしい女の子が、少し離れて立っている。その写真になぜか惹きつけられた。これは何? 誰? と思って見ると、渋谷のシネマライズで公開される新作映画だった。チンピラ、女子高生、どちらも厳しく荒んだ顔をしている。たった1枚の写真にただごとではない空気が漂っていた。
制作のクレジットは見つからないくらい小さな文字列で書かれていて、そこに監督、ヤン・イクチュンとあった。やはり韓国映画だったか、と納得した。最初の一瞬から、日本映画にはないものを感じていた。
その広告に、J:COMオンデマンドのMyシアターで、ロードショーと同時に特別配信をするというコメントがあった。テレビでJ:COMにアクセスすると確かにあった。2000円弱と通常のオンデマンド配信よりかなり高いが劇場公開と同時なのだから当然ではある。試み自体も面白いと思ったのでぜひこれで見てみたいものだと思っていたのだが、、、時期を逸してしまった。気づいたときには配信を終了していた。
ロッテルダム国際映画祭でのグランプリ受賞や、東京フィルメックスでの最優秀作品賞と観客賞受賞ということで、現在も日本各地の小さなシアターを中心に巡回中である。少し前に自宅近くのアートシアターでもかかっていたらしいが、気づいたときは終了してしまっていた。そこでネットでいろいろ調べていたら、DVDがあったのである。ただし英語字幕で。アジア関係の映画のDVDを取り扱っているYesAsia.comでUK版を見つけたのだ。日本語字幕付きがDVDになるのは今年の暮れあたりらしい。ちょっと考えたが、元は朝鮮語なのだから、字幕が英語というのもありだと思った。特典映像(監督インタビューやロッテルダム国際映画祭のクリップなど)も付いた2枚組ということなので思い切って購入してみた。3000円ちょっとだったと思う。
最初に惹かれたスチールのショットは、予告編で使われている映画の始まりの部分である。チンピラと女子高生の出会いの場面。路地をチンピラが歩いてくる。ペッと唾を思い切り飛ばした先に、向こうからやって来た女子高生がいた。唾は女子高生の制服のネクタイにべっとり張りつく。二人が行き交うところを俯瞰のカメラが捉える。女子高生が振り向き様に鋭い声をあげる。「Hey!」(これは字幕。実際の音声ではヤア!と言っている)
チンピラが振り向く。
女子高生「Sort this out before you go!」(これ、なんとかしてから行きなよ!)
チンピラ、黙ってニラミをいれる。
そして女子高生の制服のネクタイ(についた唾)を拭こうとする。
女子高生がその手を振り払い、チンピラの顔に張り手をくわす。「Crazy!」 
驚いた顔のチンピラ。
チンピラが女子高生を殴り倒す。「You stupid bitch.」
二人の出会いとして最高の場面。二人がどんな人間なのか、どんな暮らしをしているのかを暗示する緊張感あるシーンだ。二人のキツい目つきがいい。
この映画ではこの場面に限らず、この二人に限らず、crazy, bitch, son of a bitch, fucking bitch, whore, cock, wanker, bastard, fucker, asshole, prick, tramp.......と汚い言葉が思いっきり飛び交う。登場人物のあらゆる会話が、男女の区別なく、bitchやcuntで成り立っていると言ってもいいくらいだ。同じ汚い言葉も、場面や言い方でニュアンスは変わる。親しみの表現にさえなる。一種ノリのいいラップのようなリズム感と、ああ言えばこう返すという言葉遊び的にセンスの世界なのだ。何かひとこと言うのにも、その意味よりもどう言うかが大切、という意味で「文学的」とも言える。ここでは言葉は貧しいのか、それとも豊かなのか。
隠語的なこれらの言葉は、字幕では、オリジナルの朝鮮語から近い気分の英語に置き換えられている(らしい)。ピッタリ同じというわけにはいかない、と監督もインタビューで言っていた。それはそうだろう。日本語訳になるとどうなるのか。予告編では「アバズレ」「イカれ野郎」「クソ野郎」などの言葉が使われていた。どんな日本語が使われているか知るためにも、日本語字幕版をいつか見てみたい。
隠語の応酬とともにこの映画で特徴的なのは、暴力である。黙って一方的に殴る蹴る張り倒す、あるいはそこにfucking, prick, cunt.... といった隠語を織り交ぜたののしり語が加えられることもある。暴力取り立て屋であるチンピラが訪問先で暴力をふるうのは毎日のことである。チンピラは「今すぐ金を返せ」と言って殴る蹴る、さらには連れの若い衆もついでに殴る蹴る。仕事先のボスのマンシクに、若い衆を殴るのはやめろよなあ、と諭されてもきかない。よくわからないのは、取り立て先で殴る蹴るの後、出前をとって敵味方がテーブルを囲んでいること。暴力は手段であって、憎しみの所産ではないということか。
チンピラには一人暮らしの父親がいる。娘を刃物で刺し殺し、妻はその過程で事故死した。15年服役して最近戻って来たところである。チンピラはその父親を訪ねては、無抵抗の父親を殴る蹴る、殴る蹴る。そこには憎しみというよりは、憤怒といった方がぴったりくるような激しい怒りの爆発がある。取り返しのつかない何か、過去に対して、現在に対しての怒りのような。暴力はチンピラ以外のところにもある。チンピラのこの世で唯一の心の救いである腹違いの姉の小さな息子ヒョンイン、その子の元父親も妻に暴力をふるった。ヨニ(女子高生)も、家で弟と激しい口論を繰り返し、ときに弟から手をかけられる。元ベトナム兵で、今は落ちぶれて頭のおかしくなったヨニの父親も妻に暴力をふるったかもしれない。その母は取り立て屋に殺されていて、今はいない。ヨニには優しい母だった思い出がある。
こう書いてくると、汚い言葉と暴力で埋めつくされた悲惨で不幸な映画に聞こえるかもしれない。たしかに悲惨ではある。ただ全体の印象は違ったものだ。そこが映像作品の不思議さで、表面は醜いものでおおわれていても、その底に流れているものは絶望感やあきらめではない。それが何かと言うのは難しいが、たとえば、真剣さとか率直さとか幼さとか、人間誰もがもつ、少なくとも幼年時代には持っていた柔らかくて壊れやすいもの、そういったものだろうか。サンフン(チンピラの名前。ヨニから赤ちゃんの名前みたい、とからかわれる)は、幼い。30歳前後と思われるが、その表情はときに小さな子どものように頼りなく不安げだ。ヤクザっぽい短髪にダサイ服、靴はそこらへんのスニーカー。いまだにポケベルをもちヨニから「Stone Age」とからかわれ、Playstationが何かも知らない。
それでもサンフンは見る者を惹きつける何かをもっている。ヨニもそうだ。最初の出会いからチンピラのサンフン相手に主導権を握ってしまうような底力と、不良になることもなく学校生活と家事をきりもりする健気さがあり、まともな神経をなんとか保って生きている元気な女の子だ。サンフンの甥っ子のヒョンインやその母親ともすぐに打ち解けて心を通わせられる、気持ちの余裕もある。サンフンもそんなヨニが気に入っているのだろう。この二人の印象的な場面がある。それぞれに大変なことが起きてしまったある夜、ヨニの携帯にサンフンから電話が入る。いつになく静かな二人の会話。
サンフン(S):What are you doing?
ヨニ(Y):I was about to sleep. You woke me up. (本当はひとり路地でうずくまって泣いていた)
S; Sorry for calling so late. Sleep.
Y: How come you're calling?
S: Let's go for a beer. Forget it. Let's do it next time.
Y: I'll go now. Where should I go?
二人は漢江の川べりで会う。缶ビールを渡すサンフン。どこか店で飲むのかと思った、と言うヨニに、
S: Sometimes you need to try drinking in places like this, bitch.
Y: It's really been a long time since I've been here. And at this time of night.
S: I used to ride my motorbike here all the time, in middle school.
Y: So you were a bad boy from then on?
それぞれに漢江での昔の思い出があるようだ。
Y: You know, you're acting really weird today. Why do you look so lifeless?
S: I gave blood before coming here, that's why.
Y: Gave blood? You?
S: Why? Am I not allowed to give blood?
サンフンはその夜、手首を切って倒れていた父親を病院に担ぎこんでいた。「I said I'm his son, so take my blood! Fuck. I said, don't leave a single drop and just give it all to him.」 病院でサンフンはパニックになった。
Y: You ignore my calls when I page you, and only call me when you feel like it. Don't live like that.
こっちがポケベルしても、好きなときにしか返してこないよね。そんな生き方ないよ。ヨニは言う。
S: So how should I live? You tell me, high school kid.
Y: Do you want me to tell you?
サンフンは今まで考えもしなかったこと、人生について、どう自分が生きるべきかに対面している。そして女子高生にその答えを求めている。なんのつもりか、突然サンフンは隣にすわっているヨニの膝に頭をのせて横たわる。
S: Are your parents living a good life?
Y: Of course. (本当はその晩、包丁を持った父に追い回され逃げて来た)
S; Be nice to them. Don't upset them.
Y: You be nice to yours. Stop being a scumbag. There're probably really upset 'cos of you.
アンタもアホなことはやめて、親によくしてやれば。アンタのせいでひどいことになってるんだろうからさ。互いに、相手が、悲惨な事件のあげくの片親だとは知らない。
これまで押さえつけてきたものが、自分も知らなかった何かが、サンフンの中で一気に吹き上げる。そこにいるのは小さな、幼いサンフンだ。妹と母親を父のせいで同時に失った少年のサンフンだ。ヨニはどうしてサンフンが自分の膝の上で声をあげて泣いているのかわからない、いや何かが伝わったのだろう、ヨニにもこみ上げてくるものがあった。
ヨニとサンフンの最初の出会いで、にらみ合いぶつかり合いの中で噴出したもの、強くて弱くてヒリヒリして強ばったものが、漢江の川べりで少しだけ溶けたように見えた。何か起きそうなチンピラと女子高生という設定で、人間の素の姿にだけ迫ったヤン・イクチュンの激しさと純粋さは才能の明かしに見える。
ちなみに日本語タイトルは英語版からの翻訳のようだ。韓国語の原題は「똥파리(トンパリ)」。トンは糞、パリはハエ。糞に群がるハエのことだそう。広告用(あるいはDVD用)のスチール写真もそれぞれで、日本版はサンフンとヨニの出会いのシーンのカット、英語版DVDではサンフンの叫んでいるところ(泣いている?)の顔のどアップ、韓国版ではサンフンが道に座りこんでタバコを吸っているもの。英語版のものは英語圏の人にはやはり、こういうはっきりした意図の写真がいいのだろうと納得。Breathlessというタイトルから考えても。日本版の写真にBreathlessのタイトルでは多分伝わらないのだろう。日本版の写真に「息もできない」は何の違和感もない。わたしはこの写真がいちばんピンとくるが(二人の表情もこれで充分伝わる)、英語圏の人には顔の表情も空気感も伝わらず、何を意味しているのかのポイントがわからないかもしれない。韓国版の写真は「糞バエ」というタイトルには(韓国の人にとって)ぴったりなのかもしれない。あまりに絵とタイトルが近すぎる感じはするが。ここら辺の微妙な差は、それぞれの文化的背景による感性の表われだろう。もし最初に見た写真が英語版や韓国版のものだったら、ひょっとしてこの映画を見ることにならなかったかもしれない、と思うと、PRというものの意味を改めて考えさせられる。

2010年9月12日(日)12:15
大黒和恵・editor@happano.org
日本語版スチール 英語版 韓国版
予告編
http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai/yokoku.html
監督・脚本:ヤン・イクチュン  編集:イ・ヨンジュン、ヤン・イクチュン  撮影:ユン・チョンホ
美術:ホン・ジ
録音:ヤン・ヒョンチョル  製作:ヤン・イクチュン  音楽:インビジブル・フィッシュ
出演:ヤン・イクチュン、キム・コッピ、イ・ファン
英語題:Breathless/2008年/韓国映画/130分/1:1.85/ドルビーSR /レイティング:R-15
提供:スターサンズ  配給:ビターズ・エンド、スターサンズ
製作・監督・脚本・編集・主演ヤン・イクチュン

ロッテルダム国際映画祭 タイガー・アワード(グランプリ)他、受賞多数