宮崎学の写真絵本と出会う

「けもの道」「水場」「ワシ・タカの巣」「死」他
2007年12月〜2008年1月


宮崎学という名前は、ウェブ上にたくさんあるようなので、ここでは学(ガク)さん、と呼ばせてもらおうと思う。

ガクさんの写真絵本と出会ったのは、地元の公共図書館の児童書コーナーだった。野生動物の棚をひとあたり見ているときに、「けもの道」という背表紙のタイトルが目を引いた。これは、と思って手に取ろうとしたとき、隣に「水場」という本が並んでいるのに気づいた。同じシリーズの同じ著者の本。おお、これはもしかして、とさっとそのあたりの背表紙に目を走らせると、ガクさんの写真絵本が数冊目に入った。「死を食べる」「フクロウ」「鷹と鷲」・・・・。

ガクさんの本はどれも、最初の期待、直観を裏切らないものだった。数冊借りて帰ってまずはと手にしたのは「けもの道」。ガクさん考案のセンサーで通行者を感知するロボットカメラによる、けもの道定点観測写真集である。写っているのは、ノウサギ、ヒメネズミ、ニホンカモシカ、タヌキ、テン、コジュケイ、クマ、、、、、

ガクさんは長野県伊那谷に生まれ、今もそこに住んでいる「自然界の報道写真家」である。伊那谷は中央アルプスと南アルプスに挟まれた盆地と知り、わたしの連想はすぐにシエラネバダ山脈とインヨー山脈に挟まれたインヨーカントリーへと飛んでいった。もともと野生動物の棚の前に立ったのは、このインヨーカントリーからデスヴァレーにかけての一帯を題材にした本「The Land of Little Rain」(雨の降らない土地)の翻訳に役立ちそうな参考図書を探していてのこと。けもの道、水場、死を食べる、の文字を見て、これは、と思ったのは、緑豊かな日本の森とアメリカの沙漠地帯という違いはあっても、何か同じ臭いを発しているのを嗅ぎとったからだ。

けもの道を扱っているガクさんの本には「野生にいきる 伊那谷通信」(毎日新聞社)もある。これは写真絵本ではないテキスト主体の一般図書。最後の章「里に続くけもの道」の数枚の口絵写真が面白かった。ノウサギ、キツネ、イノシシ、ヤマドリなどの写真にまじって、ノラネコ、そして郵便屋さんまで写り込んでいる。そのけもの道は、野生動物だけでなく、その辺のノラネコや人間も使っているということだ。これもロボットカメラによる自動撮影の成せる業。ガクさんいわく、もし手にカメラをもっていたら、ノラネコや郵便屋さんが通ってもシャッターを押さなかっただろう、と。仕掛けておいたカメラに何が写っているか、興味しんしんで現像すると思いもかけない(ときに期待はずれの)ものが写り込んでいる、そのことから、逆に起きている事実を客観的に見る術を手にしたのだ。ガクさんは人間と自然をわけたりもしないし、山深いところにだけ自然がある、とも思っていないようだ。たとえば国道のような人間が使いやすい道は、野生動物にとっても楽な道である、と。

「水場」は、「けもの道」と同じシリーズの写真絵本。山の斜面にできたラーメン丼くらいの小さな湧き水に、どんな動物がやってくるのか1年にわたって定点観測した作品だ。ヤブサメ、オオルリなどの渡り鳥から、留鳥といって地元に住む鳥たち、リス、オコジョ、サルなどの哺乳動物、そして、、、、。コガラとヒガラ、コルリとヒガラなど、水場での鳥同士の出会いといがみ合いが面白かった。これも無人撮影の手柄だろう。水場というテーマは、上に書いた翻訳中の「雨の降らない土地」の第2章「セリソーの水の路(みち)」と重なる場面が少なからずあって、とても興味深い。ガクさんは写真によってだけれど、もう一方のオースティンは文章で沙漠の中の小さな水場(泉)に集まる野生動物を描いている。カンムリウズラ、スズメ、ミチバシリ、ボブキャット、、、、、。

「ワシ・タカの巣」、これも上の2冊と同じシリーズの写真絵本。この本が素晴らしいのは、日本に住む鷲鷹類16種の全部を長い年月をかけて撮影していること、営巣の場所によって、「岩場の巣」「樹上の巣」「地上の巣」「樹洞の巣」と四つに分け各章をまとめていること、最後に同じ猛禽類のフクロウを加えていることなどである。営巣の様子を細かく撮影しているので、もちろん雛の写真も豊富で、親鳥が生肉を裂いて雛にやっているところなど、目の前で見るように体験できる。猛禽類は一般に用心深く、営巣の様子を見るどころか、巣自体の発見が難しいそうだ。これはオースティンの「雨・・・・・・」の中でも、ハゲワシの話として同じような記述がある(「死肉喰い(沙漠の清掃人)」)。ガクさんは、見つけにくい鷲鷹類の営巣を、気の遠くなるような巣探しの旅と体を張った観察でカメラに見事おさめている。一方、アメリカの自然観察人オースティンは、昼となく夜となく、沙漠をさまよい歩くこと幾年月の中で、同じような発見をしている。両者に共通しているのは、主体はローカル、探検旅行の途上ではなく自分の住みついた場所、日常をともにする、自分もその一部である土地でのあくなき探求ということ。

ガクさんは猛禽類に対しておおいなる愛着とあこがれを持っているようで、鷹、鷲、フクロウに関するもっと詳しい本もいくつか出している。それぞれに素晴らしい。オースティンにおいても、鷲鷹フクロウはメインキャラクターのひとつ、印象的な描写が多い。

 「死(宮崎学写真集)」は、ガクさんが求めて、あるいは生息調査の途上で出会った、動物の死の(死体の)ゆくえを、秋、冬、春の三つの季節で追った写真集。

 9月のなかば、亜高山帯の森に老いたニホンカモシカの死体が横たわっていた。(宮崎学「死」/秋の死、より)

 モモンガの生息地を調査しているときに、雪に埋もれて、ニホンジカが一頭ひっそり死んでいるのを発見した。(同/冬の死、より)

 5月初旬、ヒノキの植林地にタヌキの死体が雨にうたれていた。(同/春の死、より)

ページをめくるごとに胸躍る真実との対面、登場のキャラクターがシデムシやハエ、死肉を喰うタヌキやカケスであっても、そこには暴力や残酷さのイメージはない。静かな森の時間と、時の経過とともに形を変え、最後には白骨だけになる命の姿がまっすぐに写っている。最後に残された体毛でさえ、小鳥たちの大切な巣材のために持ち去られ、あとはバクテリアが分解、死の痕跡は何一つ残らない。なんという合理性、さわやかな一幕。


 あばら骨の出た牛のどれを次の餌食にするか、適切な識別が必要とされる。しかし、死肉喰いは間違いを犯さない。一羽が獲物に身をかがめ、仲間がそれにつづく。
 ひとたび崩れ落ちた牛は、数日の間に死んでいく。長々と首を地面に伸ばし、ときおりまぶたを鈍く開けてみせる。ハゲタカたちは、完全に息がとだえるまで、くちばし一つ、鉤爪一つ、獲物に向けることはない。
(メアリー・オースティン「雨の降らない土地:死肉喰い(沙漠の清掃人)」より)

オースティンの本でも、ハゲワシ、ワタリガラス、コヨーテ、アナグマなどの死肉喰いの描写が出てくる。死のゆくえを見つめる視線や自然界の清掃システムへの共感は、ガクさんと共通するものを感じる。

ここまでで数冊のガクさんの本を読んできたわけだが、もう少し本を集めてさらに読み続けたいと思っている。

2008年1月7日(金)午後3時50分
大黒和恵・editor@happano.org

<宮崎学(ガク)の本>
1)「けもの道」「水場」「ワシ・タカの巣」(森の写真動物記)/宮崎学著(2006年〜2007年、偕成社、各2100円)
2)「死 (宮崎学写真集)」/宮崎学著(1994年、平凡社、4200円)
3)「野生にいきる 伊那谷通信」/宮崎学著(1992年、毎日新聞社)
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ウェブサイト:
森の365日(宮崎学ーガクー写真館)
http://www.owlet.net/


*メアリー・オースティン「雨の降らない土地」は、2008年春ごろよりウェブにて連載の予定。