ジム・モリスンがパリで死ぬ2ヶ月前、アレクセイ・アンドレイエフは、ノブゴロドというロシアの古い街に生まれました。彼、ジムじゃなくてアレクセイの方ですが、その若き日々の大半を数学の勉強とその他もろもろの体に悪そうなことで無駄に過ごしました。物理学・数学専門課程寄宿学校を卒業の後、応用数学の理学修士を得るため、レニングラード州立大学へ進みます。アレクセイは現在、外見上はコンピューター・サイエンスの博士として働いています。しかし、このクールでアカデミックなヨロイの下には、様々なスタイルで詩作を(グダグダとした自由詩から韻や回文にこだわりまくった作品まで)さかんに試みるひとりの詩人が宿っています。もちろんアレクセイにとって、ハイクは無視できない存在で、ここ6年というもの、その詩的蓄積に磨きをかけています。(1996年出版時のものを翻訳しましたが、2000年3月現在、アレクセイは、インターネット・ジャーナリストとして、ロシア語オンライン新聞 "Lenta.Ru" と "Vesti.Ru"で仕事をしてます。)

1994年、アレクセイはごく初歩の英語を少し、その口にたずさえて、アメリカに来ました。この地で英語でも詩が書けることに気がついたアレクセイは、テレビのコマーシャルやソープオペラを熱心に見ること1年、英語で詩を書いてみる決心をしたのです。この本は、その最初のくわだてなのです。

「モヤヤマ - ぼくのほらあな」は、ここ5年間(1996年時点で)、アレクセイがノートや日記に書きためたハイク、センリュウ、タンカ、俳文をもとに集めた選集です。ヤマというのは、ロシア語で穴、ほらあなのことです。ですからモヤヤマは、ぼくのほらあな、という意味です。ヤマはまた日本語の「山」でもあります。

この本の中の作品のいくつかは、ロシア語で書かれたアレクセイの最初の本"Pesenka Shuta"(エフェクト出版、ニューヨーク市、1996年)の中で発表されたものです。その他の作品は、ハイク・マガジン"Woodnotes"の27号、28号、"Frogpond" 1996年春号、そしてインターネットのワールド・ワイド・ウェブの様々なe-zineで発表されたものです。

英訳やハイク全般に関する助言、提案をしてくれたドゥーグル・J・リンズィー、ヴロジミールズ・ホルシチィンスキー、チャールズ・ハズレット、ポール・メナとシキ・ハイク・サロンのメンバーたちに、著者から心からの「スパシーボ(ありがとう)」を。

アレクセイの主催するウェブサイト
英語版:http://www.net.cl.spb.ru/frog/engl.htm
ロシア語版:http://www.net.cl.spb.ru/frog/me.htm
Moyayamaロシア語版:http://www.net.cl.spb.ru/frog/yama.htm
Email: lexa@spb.cityline.ru

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