バスに乗るのは、なんとも楽しい。クルマを運転しているときは、交通標識や信号や、まがり角やほかの車のことをずっと気にしていなくちゃならない。バスなら、走っている道のことなんか、まったく忘れていていいんだ。本を読むも、だれかとおしゃべりするも、窓の外をながめるもいいし、居眠りだってしほうだい。おりる所さえわかっていれば、それで充分。うしろ向きになって外を見てたっていいんだ。N352号線、ペテルゴフの町でお気にいりの路線。
ペテルゴフ……サンクト・ペテルブルグのそばの小さな町。アレクセイはノブゴロドという古い街で生まれた後、サンクト・ペテルブルグ近郊の小さな町をいくつか移り住んだそう。


      バスで ゆく
      けしきは 映画
      とめないで!

      long ride on the bus
      world outside like a film
      don't stop, bus





      捨てられて
      金のマフラー振りながら
      さよなら言いあうツリーたち

      thrown away New Year's trees
      wave to each other
      with scarves of tinsel





      雨を はさんで 黄しんごう
      夜が あけるまで
      見つめあう

      till sunrise
      two yellow traffic lights
      through the curtains of rain





      ほら ゴギブリ
      だれかが いいだす
      壁のシミ


      o cockroach,
      only one of us is remembered:
      blur on the wall



モスコフスキー駅で。グランド・ホールを通り抜けようとして、レーニンの胸像がなくなっているのに気がついた。いったい誰がこんなことを。名作というわけではないけれど、とても穏やかで、落ちついていて、すべすべしたいい像だったのに。いま、そこには、黒い四角い台座があるだけ。通り過ぎながら思う。「モスコフスキー駅のレーニン像のところで」と言って待ちあわせた、記憶の中の人たちことを。ぼくの両親は、ダウンタウンへ行くと、あの像のまわりで小さなぼくに一人歩きをさせたものだし、女の子たちは、いつも約束に遅れてやって来た。遊び仲間たちは、バカゲタことや新しい遊び場の情報をもって現われたなぁ。南へ向かう電車。東からやって来る電車・・・。いろんなものがみかげ石のレーニンとともに消えちゃった。そう、すぐに、新しいやつがこの上に置かれるにきまってる。何が置かれたっていいけどさ。ここで待ちあわせするのに、「ホールのまん中の、黒い四角のとこでね」っていうのが、いやなだけ。
モスコフスキー駅=モスクワ駅(Moskovsky=「モスクワから来るもの」という意味のロシア語)……サンクト・ペテルブルグ(前レニングラード)の中心的な駅で、モスクワからの列車が発着するほか、ペトロザウォーツク方面への列車も出ている。


      ほんのり青い ぼくのアイリス
      ネオンの下で きれいだな
      バルチースカヤの地下鉄駅で


      these pale irises,
      fine in the neon light
      of metro station Baltiyskaya

バルチースカヤ……サンクト・ペテルブルグ市にある鉄道駅のひとつバルチースキー駅のそばにある地下鉄駅。

アレクセイ(著者)からのメール:1
(Tue,7 Dec 1999 19:56:28 + 0300):

「いま、モスコフスキーの台座には、なにがあるの?」という質問に

ピョートル大帝の頭。ここは、ぼくが住んでいた頃は、レニングラード(レーニンにちなんで)と呼ばれていた。だけどソビエト崩壊後、昔のサンクト・ペテルブルグに名前を戻したんだ。それでレーニンの場所にピョートルがいるっていうわけ。でも、なんていうか、ピョートルの像はよくないよ。見ればわかると思うけど、ピョートルの像は怒っていて残忍そうな顔をしてるからね。とにかく、ぼくらは今でも、友だちやガールフレンドと約束するとき、「レーニンのところで会おう」って言うし、ちゃんと意味は通じるんだ。

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