ジョン・サンドバック著「ステップ・イントゥ・スカイ」レビュー
芭蕉の平原、サンドバックの平原
フィリップ・ジョン・アッシャー

ANNETNA NEPO ニュースレターNo.1(2002年8月)より


葉っぱの坑夫はヴォランティアで運営されている、日本に本拠を置くネット上の出版社である。プロジェクトは1999年、スモール・ガーリック・プレスの本を日本語版で出版することから始まった。葉っぱの坑夫は作品を日本語と英語の両方の言語で出版している。またフラグメンツという素晴らしいオンライン・アンソロジーのプロジェクトを運営していて、そこではオリジナルや再利用(二次使用)の作品を書かれた元の言語と日本語訳で発表している*。葉っぱの坑夫はこのプロジェクトに強い思いをもっているようだ。Annetna Nepoのリンクページに、葉っぱの坑夫へのリンクがあります。

今年、葉っぱの坑夫はジョン・サンドバック著「ステップ・イントゥ・スカイ」を出版した。だいこくかずえによる日本語訳と英語テキストを同一誌面に配した、右綴じの美しい造本の本である。「ステップ・イントゥ・スカイ」は本国送還(逆輸入)の感覚をもたらす英語俳句集である。ひとつには外国語で書かれた俳句を、日本語訳したテキストのとなりに『置き返す』、という意味で。さらに、アメリカはミズーリのオーザックマウンテン、水晶の洞窟、カンサス平原といった、アメリカ独特の風景を俳句で表現するという大変明確な意図において。伝統的な俳句世界では、自然要素はいたるところに存在する。森、雲、川、カラスなど。マスター・オブ・ハイク(俳句の大家)、つまり芭蕉(1644年ごろの生まれ)のことであるが、この人の名前は、弟子たちが教えを請うために訪れた芭蕉のあばら屋(hut)の前に植わっていたバナナの木からとられたものであった。芭蕉は、サンドバックもそうしたように、俳句を編むとき、自分の身のまわりの自然を鮮やかに切りとって句に定着させた。

芭蕉の句:

Waking in the night;
the lamp is low,
the oil freezing.

夜半のめざめ
灯り 弱まり
油 凍る
(Yahan no mezame
 akari yowamari
 abura ko-o-ru)

 油氷りともし火細き寝覚め哉
 Abura ko-o-ri tomoshibi hosoki nezame kana
 (原典)

It has rained enough
to turn the stubble on the field
black.

雨しとど降り
刈られた 稲田
色濃くそまる
(Ame sitodo furi
 karareta inada
 irokoku somaru)

 しぐるるや田の新株の黒むほど
 Shigururuya tano shinkabuno kuromuhodo
 (原典)

Winter rain
falls on the cow-shed;
a cock crows.

冬の雨
牛舎に落ちる
おんどりの鳴き声
(Fuyuno ame
 gyushani ochiru
 ondorino nakigoe)

 *芭蕉の原典、検索中。ご存知の方はこちらまでメールをください。


The leeks
newly washed white,-
how cold it is!

ネギ洗う
きれいに 白く
なんと 冷たい!
(Negi arau
 kireini siroku
 nanto tsumetai!)

 葱白く洗ひあげたる寒さかな
 Nebuka shiroku araiagetaru samusa kana
 (原典) 

サンドバックの多くの句は、芭蕉につうじるものを、自然へのまなざしを感じさせる。たとえば、こんな印象的な表現で。"ocean's voice / making moon thirsty"「海原の声に/月渇きを覚える」。神秘の存在としての星々や生き物たちが生息するからっぽの平原*や広々と開けた地平というものが、詩人の息づかいを通して、一句一句の中に表現されている。またサンドバックの作品には、新しくてエキサイティングなたくらみも含まれていて、そのせいで読者はあっという間にミズーリの今の風景へと運ばれていく。
たとえば、こんな句で。

sewing the torn futon
the evening rain keeps falling

フトンを かがる
夕雨が 降りつづく
(futon wo kagaru
 yusame ga furitsuzuku)


just before rain
building web spider
circling and circling

雨の 直前
巣を 張る クモ
ぐるぐる ぐるぐる
(ame no chokuzen
 suwo haru kumo
 guruguru guruguru)


表面的なことはさておいて、この二つの句は、日本よりもむしろアメリカの風景へといざなう。「ぬいもの」や「くもの巣」でさえ、芭蕉のあばら屋ではなく、アメリカの住居を、大草原にぽつんと建つポーチ付きの木造の家を、思い起こさせる。日本の俳人・夏石番矢の書くこの本のイントロダクションには、「超マンネリ化した日本の俳句とはちがい、どこかひろびろとした宇宙感覚が光る」作品とある。この句集の斬新さは、たぶん、日本に生まれ育った日本人の心にも訴えかけるものがあろう。おすすめの俳句集である。

もうひとつ同様の俳句集として、ポール・デイヴィッド・メナによる Tenement Landscapes(「ニューヨーク、アパアト暮らし」)がある(だいこくかずえ日本語訳)。こちらは舞台はニューヨーク市で、作品中に「トランプ・プラザ」「ペン・ステーション」や「真夜中のペンシルバニア駅」の意味するところなどの背景説明が、ノン・アメリカンのために付け加えられている。

俳句についてもっと知りたい人は、こちらを。
Haiku Gallery
Ginyu - Haiku magazine


*ANNETNA NEPOのオリジナルページ(英語・フランス語)は、こちら
*このページの英語版は、こちら
*「ステップ・イントゥ・スカイ」紙の本版ウェブ版

訳註
* フラグメンツ:英語の作品を日本語に翻訳する他、日本語の詩の英訳もしている。その他スウェーデン語、ポーランド語の詩の英語訳、日本語訳もある。

* 神秘の存在としての星々や生き物たちが生息するからっぽの平原:日本語にすると「生き物が生息する」のに「からっぽ」とは、感覚的に少し変に感じられるかもしれない。原語はempty plains。英語では多分、生き物がどんなに住んでいようとも、風景がエンプティなのはエンプティだ、ということだろう。日本人は、生き物の気配のある場所をエンプティとは言わないけれど。

(日本語訳:だいこくかずえ)


*Annetna Nepoのウェブサイトから*
ANNETNA NEPOは、多言語を対象とする詩のレビュー誌であり、あらゆる言語による(古代言語、現代言語、現存の、死に絶えたもの、すべてのアルファベットによる)詩を出版するものです。ここでは詩の質を問うことのみを問題としています。ANは2001年、フィル・ジョン・アッシャーとR. リチャード・ウォヤウォズキーによって設立された非営利の雑誌です。ANは非営利のSplit Throat Pressから出版されています。詳しくは、ANNETNA NEPOのサイトを。
*Annetna Nepoでは日本語で書かれた詩の投稿も受け付けています。

フィリップ・ジョン・アッシャー(BA, London; AM, Harvard)は、自分自身を第一にまず作家であると考えている。現在、ハーバード大学(アメリカ)でロマンス諸語及び文学の博士号の取得に取り組んでいる。フィリップはイギリスで生まれ育ったけれど、現在はフランスと北米を行ったり来たりしている。フィリップが言葉と文学への自分の情熱に最初に気づいたのは(好きな言葉は「合成語分割*」)、初めての外国語であったフランス語を学んでいるときであった。彼にとって、外国語というのは、自分が小さな町で見つづけてきたものを、どんな言葉をもってすれば越えていくことができるのか、と想像をめぐらすための必需品であった。読むことの衝動は、書くことへの欲望へとつながった。フィリップは読むことと書くことは、ひとつの活動の中の二つの要素である、と強く信じている。

アメリカとフランスでは、ワークショップへの参加や運営をしており、2001-2002年にはハーバード大学で、ネーサン・レインとともに「ダドリー・レビュー」を編纂した。この経験の中で、フィリップは編集というものが読むことと書くことの間(自分がもっとも好きな居場所であるところの)にある、ということに気づいた。余暇には様々な言語を学んでみるのを趣味とする。2002- 2003年にかけて、パリで過ごす予定で、そこで研究調査やいくつかの作品の仕上げ、Annetna Nepoのことばの世界を広げていくつもりである。怪しげな翻訳にもかかわらず、サージ・ゲインズバーグの"Evguenie Sokolov"(ある画家の描くことへの苦悩を描いた小さな、素晴らしい本)の翻訳作業は仕上げ段階に入っている。またダイアナ・マロヤン(ナント大学/フランス)との、いかにして個々が読むことの必要性を見い出すか、についての出版プロジェクトも行なっている。(フィリップへのコンタクトは、phil@annetnanepo.org)



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