もちろん男は、探しまわったあげく、それなりに価値のあるポケットを見つけてきたわけで、それなしに今のような生き方を通すことはできなかった。とはいえ男は、小さな鉱脈を見つけたのと同じように、大きな鉱脈を見逃すという「幸運」にも見舞われた。男はトノパ地方全域をまわり、二、三年のうちにそこが大変な場所になるなどという予想のかけらもないままに、鉱石片を持ち帰った。自分が何の価値も見つけられずに石を削りとってきた場所は、まさにカリフォルニア・ランドの鉱脈だったんだよ、とわたしに勢いづいて言っていたけれど、別にがっかりした風でもなかった。

 あるとき、雲行きの怪しくなった険しい山道で、男が荷物を詰め替えているところに出会った。緑のキャンバス地のかばんに持ち物が詰め込まれるのをそばまで降りていって見ていたが、それはまぎれもないイギリスの小説に出てくる緑の「弁護士鞄」だった。そこは靄にかすんだただっ広い谷を見下ろす、山道から少し降りた場所、人家の一つもない西部で目にするものとして、この緑の鞄ほど不釣り合いなものはない。その鞄は、ロンドンで数年前買ったものだと言うけれど、男が外国に行ったことがあるなんて話はそのとき初めて聞いた。それは何回目かの「大きな山」を当てた後のことで、その金で大周遊をしたのだった。他に何も持ち帰ったものはないけれど、その緑の「弁護士鞄」は自分の用途に、そして功名心にも見合うと見積もった。功名心とは、金持ちに見え、ロンドンの地位あるブルジョアの中に身を置くことだった。イギリスの豊かな中産階級というものが、上には仰ぎ見るに足る上流社会、下にはいじめたり偉ぶったりできる下々の者と両方があり、とても魅力あるものに見えたのだ。もちろんこんなあからさまな言い方はしなかったけれど。

 それからしばらくポケットハンターのことを聞かなかったが、二、三年たって、放っておかれた払い下げ請求地に一万ドルが支払われ、渡りに船と男はそれを手にロンドンに遊びに行ったと聞いた。この土地は男のことをかつてのように心に留めることもないようだけれど、わたしはときに懐かしく思い出し、以前のようにひょっこり男と出会わないかという期待を捨てられなかった。というわけで、一、二年たったある日、夕闇にあがる煙を見つけ虫の知らせを感じて湿地まで追っていったら、コーヒーポットとフライパンで火を囲んでいる男と出くわした。ポケットハンターその人だった。でもわたしは驚かなかった。これぞ天の采配というものか。

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