自分でなろうとしてポケットハンターになれる者はまずいないのではないか。ポケットハンターはある才能に恵まれて、そして試験管の縁をポンとひとたたきして結晶現象を起こさせるように、ある好機によって出現するものだ。わたしの友のポケットハンターは、リー地区で一千ドルの鉱脈を当てるまで、まともな仕事についたことがなかったが、それを機に金鉱追いを自分の天職とした。ポケットというは、何かと言えば、岩石の中に眠っている豊穣な小さな鉱物の塊、あるいはもっと価値の低い鉱石の中の鉱脈のこと。ほとんどの鉱物性の岩棚にはそのようなものが含まれているけれど、それを多大な労力なしに見つけられるのはよほどの幸運者である。実利的なのはいいポケットを見つけたら、自分で事業を始め山から手を引くこと。筋を通したいなら山に残って新たなポケット探しに精を出すこと。わたしのポケットハンターは二十年間、金鉱追いをしてきた。男の仕事道具はシャベル、つるはし、自分の皿よりきれいにしている砂金鍋、ルーペ。流れにくると、男は川底の砂利を「色分け」し、ルーペの下に置いて遠くから来たものか近くのものか見極める。そうやって目をこらして、金を含んだ砂利が流れの中に現れるまで働き続け、見つかると峡谷の斜面に上がって鉱脈探しを始める。小さなポケットを見つける一番の兆しは鉄のシミだと、男は言っていたと思う。でもポケット探しについてよく飲み込めていると感じられるほど、わたしには鉱夫の話の流れがつかめたためしがない。男はまた別のやり方を水のない丘陵地ではやっていた。袋小路になった溝の内外や、隆起後まだ冷え固まっていないように見える、むき出しのままの多様な地層の曲がりくねりのところで仕事をした。男の金探しの旅は、雪のシエラの東斜面(海岸沿いの丘陵とぶつかるところまで南下している)に始まり、長く厳しい寒さのため北上するのが困難なトラッキー川流域に至る斜面全域に及んだ。そして沙漠方面に向かって延びているほぼ平行して連なる丘陵地の一つ二つに降りては働き、モハベ川の川底にも降りて、河床の砂地を我を忘れて掘りに掘った。そこは神秘に満ちた土地、うら寂しく、吹きさらしの荒れ地、美しくもあり、空恐ろしくもあった。でも男はここで何ひとつ危害を被らなかった。この地が男をジリスかアナグマ程度のものとして扱ったからだ。あらゆる生息動物の中で、土地は人間を露ほども気にかけていない。

 鉱山というのは変わりものの人間を山ほど生み出す場所で、互いに互いの変人ぶりを忌み嫌っているところがある。そんな中でポケットハンターは、最も率直で気さくなしゃべりをする男だった。他の年老いてすすけて萎んだ鉱夫たちの「カヨッテ掘り」よりずっと、生彩に富んだ思い出話を持っていた。人里離れた丘の奥深いところで、コヨーテのように穴掘りをすることを「カヨッテ掘り」とこのあたりの鉱夫たちは言っている。鉱夫のだれかが不毛そうな鉱脈の中に鉱物の兆しをみつけて(この言葉が適当かどうか。わたしがこの手の用語にうとくて当てにならないことを覚えておいて)、それを追って母岩の中心へと闇雲に進んでいって、願をかけては掘り、また願をかける、というようなことを指している。このとき男たちはだんだん我を忘れたようになり、自分たちが幸運を目前にしていることを信じて疑わない。お金を貸す以外のことなら何でも親身になってやりたくなるような、気のいい無邪気な男たちがほとんどだ。わたしは「飯たかり」たちも知っていたが、この口のうまいならず者たちは、いい岩棚が見つかりそうなどという言葉と引き換えに、わたしたちから小麦や豚肉、コーヒーをまんまとせしめていく。でもその誰一人として、ポケットハンターほど価値あるものを手にした者はいない。この男、ポケットハンターは人に何か期待したりせず、自分のやり方で人生を楽しんでいた。体さえ丈夫なら、それは素晴らしい生き方だった。ポケットハンターは、そこが戸外でありさえすればどんな天気も素晴らしく、どこも変わらず心地いい場所だ、と思うに至るところまで来ていた。いったいどれくらいの間、自然の中に身を浸していれば、こんな風に頓着せずに暮らしていけるようになるものなのか、まったくわからない。わたしはといえば嵐のときのきれいな光に胸を高鳴らせ、砂混じりの強い風の猛攻や岩の上の稲光のダンスに目を奪われてしまうし、嵐がいつまでも留まっていれば今度は疲れを感じてしまう、という具合。でも鉱夫やインディアンたちは、天気から身を守る、一生ものの殻のようなものをもっているのだ。

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