嵐の気配がないときに、雲の流れや空の状態を観察するのは意味あること。キアサージから、そう、インヨーの方を見渡せば、沙漠の地平線の上にやわらかなピンクの雲の連なりが浮かんでいるのが見える。南に目をやれば白い一団が、オッパパゴーの向こうに集まっている仲間の雲を追って足を速めている。ワバンの麓では、鼻づらを寄せて南へと這っていくふわふわした塊がある。空の真ん中の一番高いところ、きれいに澄んだ通り道を、羊飼いの元を離れて反対の方に動いていく小さなヒツジの群れが見える。気象局がこういう雲を何と呼んでいるか、それは巻雲、積雲、と言った呼び名だ。そして気象図の雲を分析することで、いつ種を蒔き作物を収穫するかがわかるとしている。人々がいつジャガイモを植えるべきかばかりを考え、空のもつ深遠な意味を軽視しているのは驚くべきこと。風吹く岬に毎朝のように立てば、そこで見たワバンの雲にかかる虹は、庭のホースの水しぶきでできる虹と同じものではない、ということに思い至るはずだ。悲しいかな、虹のようなものにわたしたちが到達できるとはとても思えない。