標高二千七百メートルより下のあたりで、少し開けた波立つ斜面と小さな白い滝の連携に導かれていくと、湖との出会いがあるかもしれない。湖より下では、窪地は埋まり海綿状の湿地となり、もっと下の方では地盤のしっかりした草地となる。

 このあたりから茂みの水域が始まる。シエラ中央の東斜面では、松(イエローパイン以外のすべての松)は、一番低い湖の高さのあたりで水辺を離れ、カバノキと柳の木が始まる。モミの木はほぼメサの高さ(東斜面には前山がないので)まで持続している。このモミさえあれば、他に見たいものはなくなる。最初の実を宿すのに五十年の月日をかける木が、長年の経験に報いることは言うまでもない。モミは誕生から半世紀もの間、無垢で優雅な輪郭を保ちつづけるが、ひとたび花を咲かせると、若き日の見映えを静かに捨て去っていく。年経るごとに一番下の枝一段分が、幹に何の痕も残さずに落ちていく。一年一年と、星形に伸びる尖塔の枝が空に近づいていく。モミの木は水辺を好む。風のよく通る峡谷の息の長い風を好む。つやつやとした美しい球果の中身の仕上げにひとり時間を過ごすのを好む。季節の盛りに割れて口を開けると、花びら状のうろこの内側は深紅のサテンで、バラの花のように見事だ。

 カバノキ(低地の茂みの水域に特有の茶皮の西洋カバ)は、人の楽しみを奪う存在。自分を養う水の流れの息の根をとめるように密生して生え、空をふさぎ、釣り人が竿と毛針を降ろす隙間さえ与えしぶる。柳の木はもっとまし。彩色椀のようなアツモリソウと、空洞の茎の頭にいくつもの花を広げてつける散形花序の白い花が、柳の幹の間に足場を見つける。でも普通は、険しい深み、水が渦巻くところ、緑や黄褐色の水たまり、草地とメサの間を滑走する流れのところでは、釣りや花々が楽しめることは少ない。

 ひとたび峡谷に挟まれた壁から解放された人は、再び釣りのできる川や花々を探し始める。ゴボゴボと声高く笑いさざめく水音が、小川のやさしい調べの中に落ちていく。その水は自分の使命を知り、空を映して流れ続ける。

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